
「“覚悟”が足りない」などと”覚悟“を問われる場面は日常茶飯事。この言葉に違和感を持つ組織開発専門家、勅使川原真衣さんは、”覚悟“論を振りかざす社会の危険性を説く。「誰もが“しあわせ”になるために」と、世の中に浸透し続ける言説に待ったをかける著書、『格差の"格"ってなんですか?――無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版) より一部抜粋・再編集して、社会でもてはやされる”覚悟“について軽やかに解毒していく。
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覚悟 ─ 結果論かつ強者の論理 「その程度の覚悟なら」
2024年8月末。NHKが放映したドキュメンタリー番組が話題を呼んだ。セクハラで起業を諦めたという女性の告白であった。
勇気ある告白から、男性中心社会を問い直すものもあれば、「その程度の覚悟なら起業は向いていない」という意見を実名を出して熱弁する姿や、その言いぶりに「よく言ってくれた」と賞賛する姿すらも数多(あまた)見られた。
「覚悟」を問われる、その程度の「覚悟」なら――などと時に人は易々と言う。
しかし同時に、何かこう、違和感がつきまとうのは、私だけだろうか。
その場面に居合わせたわけでもなく、背景も千差万別であり、「危機感」や「絶望感」というのは言うまでもなく人によって異なる。その状況把握の不完全さは棚上げにして、よくも他者に「その程度の覚悟」と言えてしまうものだと、啞然とする。