06年は開幕1軍入りをはたすと、2試合連続弾や7試合連続安打を記録し、ライトの定位置を獲得。規定打席不足ながら打率.311、26本塁打、66打点の活躍で、最後まで梵英心(広島)と新人王を争った(結果は次点)。
さらに07年は24本塁打、85打点、翌08年には自己最多の34本塁打、91打点を記録。内川聖一、高校の先輩・村田修一とともに右の強力クリーンアップを構成した。
09年にも初めて144試合フル出場し、NPB史上8人目の全打順本塁打と4年連続二桁本塁打を記録したが、本塁打数は16本と半減し、翌年以降は極度の打撃不振に陥る。
初球から思い切って振っていくタイプの吉村は、状況に応じた打撃や選球眼などについてコーチから細かく指示されると、思うような結果を出せなくなり、ライバルたちに取って代わられた。
12年オフに3対3の交換トレードで地元・福岡のソフトバンクに移籍し、「ゼロからのスタート」を誓った吉村は、翌14年のクライマックスシリーズでMVPを獲得するなど、バイプレイヤーとしてチームに貢献した。だが、17年以降は若手の台頭に押されて出番が減り、1軍出場ゼロに終わった18年オフに戦力外通告。その後もオランダリーグや国内の独立リーグで現役を続けた。(文・久保田龍雄)