今年の歌会始は、陛下が雅子さまに「譲る」というほほえましいエピソードが生まれた。しかし、永田さんが陛下へ「お譲りしては」と提案したのは、ご夫婦での譲り合いという理由だけではなかった。
「披講された『をちこちの』の和歌の完成度が、陛下の他の2首よりも抜き出ていました」
国民との触れあいを強く感じさせるこの和歌は、天皇の歌としてふさわしいものだと、永田さんは感じたのだ。
天皇や皇族方の張り詰めた神経
永田さんは陛下の和歌に、天皇が背負う重責の一端を感じたと話す。
「天皇や皇族にとって、人びとと会うことは大切な務めです。一方で、天皇の公務は穏やかな内容ばかりではなく、被災地への訪問など背負うものが大きいこともあります」
たとえば今回の能登半島地震でも、時期を見て両陛下は被災地を訪問されるだろう。そのときに、家族や家を失った人びとに、どのような声をかければよいのか。また、訪問する時期を見誤れば救援・復興活動の妨げとなり、被災地に迷惑をかける恐れがあるため、慎重さと配慮が必要となる。
天皇や皇族方は、神経を張り詰めさせながらも人びとと思いを交わそうと、被災地などを訪れるのだ。
「そうしたなかで、人びとから向けられた笑顔に、陛下は心からほっとなさったのだと思います。陛下は、『和』の題で『心が和む』と詠みこまれた。この御製は『皆さんの笑顔で、私の心が和むんです』という、天皇から人びとへの励ましと感謝の想いが、メッセージとして込められていると感じます」
能登半島地震が発生したのは元日で、歌会始の儀は19日。陛下がこの和歌をつくったのは、地震の発生前だ。
永田さんは、御製に能登半島といった言葉こそ詠みこまれてはいないが、
「能登半島地震で被災した人びとに向けて、まだ直に訪ねることはできていないが、心配していますよ、というメッセージ性の強い御製です」
と見て取る。
歌会始の後、両陛下は一般の応募で選ばれた入選者と懇談した。入選者の中には、石川県かほく市の職員もいて、両陛下は被災を気遣う言葉をかけられたという。