日本バスケットボール界の熱を冷ましてはならない。その中心に立ち、今や押しも押されもせぬBリーグの顔である富樫勇樹が、世界と日本の距離はいかほどか、代表の現在と未来を語った。AERA2024年1月20日号より。
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今、バスケットボールが野球、サッカーという2大プロスポーツに割って入ろうとしている。
国内で競技の知名度や競技者数の向上、興行面での成功を図ろうとすれば、過去の例を見ても日本代表の活躍が不可欠。サッカー日本代表はワールドカップ出場の常連となり、野球日本代表はワールド・ベースボール・クラシックで米国と渡り合う。
日本バスケ界に確かな風が吹いたのは一昨年8月だった。バスケットボールワールドカップ(W杯)2023でヨーロッパや南米、アフリカの強豪を次々と破り、パリ五輪への出場権をもぎ取ったのだ。
欧州勢との対戦での初勝利、06年以来のW杯での勝利、そして48年ぶりの自力での五輪出場。その大旋風の中心にいたのが、主将として代表を牽引した富樫勇樹だった。パリ五輪ではドイツ、フランス、ブラジルと対戦。3戦全敗だったが、優勝候補とも目された地元フランス戦では、試合終盤までリードし勝利は目前という接戦を演じた。延長戦で力尽きたものの、確かな手ごたえも感じた。
世界を肌で知ること
「世界との差は間違いなく縮んでいると思います。フランス戦であれだけ戦えたんですから。もちろん選手層や細かな技術など、さまざまな面で足りない部分はあります。でも、これまでは五輪にすら出られていなかった。結果として負けはしましたけど、そのステージに立ったということが大きな前進なんです」
国際舞台へのこだわりは強かった。14年に単身渡米してNBA入りに挑戦も、東京五輪への出場を確かなものとするべく帰国。千葉ジェッツに入団した。
「僕は、日本が自国開催以外で世界の舞台で戦っている姿というのを見ずに育っていますし、僕が代表に呼ばれ始めたころはアジアの国以外と対戦する機会がほぼなかった。世界トップクラスとの差を測る物差しがなかったんです。常に世界を意識するには、W杯も五輪も連続して出場していく必要があると思っています。それは僕ら現役にとっても、そして今は見る側の若手Bリーガーや学生プレーヤーにとっても大事なことです」