元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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正月は恒例の実家帰り。一人暮らしの父(87)と娘(59)の8回目の2人年越しであります。
「時は待ってくれない」が最近の父の口癖で、確かに改めて泊まりがけで過ごしてみると、まだ元気と思っていた父のあらゆる動きがギアを落としていることにハッとする。おせち料理には小鳥のようにしか手をつけず、お酒は小さな猪口一杯で十分な様子。食事が終わるとホッとするのかすぐ居眠りが始まって、この時間がなかなかに長い。そして足の不調は想像以上にままならぬ感じであった。こうしたすべてのことを一気に目の当たりにすると、まさに「時は待ってくれない」と思わざるを得ない。
……と、このように書くと暗いことしかないみたいだが、実はこれがそうでもなくて、娘としては、史上最も父と仲良く過ごした正月だった。そもそもモーレツ社員で亭主関白(いずれも死語)だった父とは価値観が違い、毎年会話するほどにイライラを募らせていたんだが、ここへ来て、老いという過酷な現実に精一杯明るく立ち向かう姿に「お父さん偉いなあ」と素直に思う自分がいたのだ。正直なところ、このように父を心から尊敬したのは初めてかもしれない。
そう思うと、父の長生きを心からありがたく思う。もし父がもっとエネルギー旺盛だった頃に亡くなっていたら、こんなふうに父を好きになることはないままだったろう。人はいくつになっても変化する。長生きは人を和解させるチャンスをくれるものなのだ。
年明け、恒例の初詣に2人で出かけた。以前は電車とバスを乗り継いで大きな神社へ行ったが、ここ数年は歩いていける近所の神社へ。杖をついた父の歩みは史上最高にゆっくりで、後ろから来た人にどんどん追い越される。「あんなふうにさっさと歩きたい」と父。「でもゆっくり確実に歩くのが大事だよ」と私。それは自分への一言でもあった。ゆっくりでも着実に。目の前の一歩を一生懸命。きっとそこにも無限の宇宙があるはずである。
※AERA 2025年1月20日号