慶應義塾の中等部を受験し、慶應高校、慶大へ。歩みの出発点は、この番町小学校だった。
同じ日に、91年9月に社会人の第一歩を刻んだ、旧・住友銀行丸の内支店があったビルへも寄った。JR有楽町駅の近く、入り口をみつけて「ここから入って、支店の中の階段で2階へ上がっていた」と振り返る。米国留学から帰り、当時のハウス食品の社長に「いきなりハウス食品へ入らず、銀行で修業したらどうか」と、勧められた。
10社のうち1社でもニーズをつかめば次の面談へつながる
銀行に約6年間いて、得難い体験は、3年目に取引先課で新規の企業取引を開拓した「飛び込み営業」だ。大阪が本拠だった住友銀行に対して、東京が本拠の大手銀行の取引網の壁は厚い。とくに伝統的な企業は、なかなか食い込めない。そこで、支店長は新興勢力が多い業種に照準を合わせ、自分はスーパーなどの流通業を担当した。
訪ねる前には、候補企業のデータを集め、そこの課題などを調べ、50社ほどの資料をつくった。支店長は「片道1時間半まで、いっていいぞ」と言い、西へいけば神奈川県の西寄りの地域までが、守備範囲に入る。最寄りの駅で資料を見直して、攻略のポイントを確認。そして、初めての企業の扉を開ける。
先輩の教えも、覚えている。
「最初の半年は、絶対に取引を取れっこない。10社いって1社でも話すことができたら、何でもいいからその客のニーズ、悩みごとをつかんでこい。それをつかめないと、その1回で終わってしまう。悩みごとをつかんで解答を用意すれば、次へつながる。9社でダメでも1社で話してもらえたら、それをやれ」
客と深みのある関係を築くための心得、とも言える。旧支店があったビルは、やはり社会人への道場だった。「父の背中」が示した厳しさと、重なる。
大地震や豪雨などがあるたびに、コンビニなどの惣菜や外食店の売り上げが伸びて、ハウス食品のような調理用品には逆風だ。でも、47歳で亡くなった父の分まで、やれることをやり続ける。「父の背中」が生んでくれた『源流』からの流れが、課題も解きほどく力になってくれるだろう。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2025年1月13日号