このほか、浅野の高松商の先輩にあたる大北敏博は、早大進学を理由にプロ拒否を表明していたが、70年のドラフト巨人に2位指名されると、一転入団。俊足と強打を兼ね備えた内野手として将来の主軸と期待された。だが、76年にイースタン首位打者を獲得も、1軍は在籍9年で出場34試合に終わり、79年オフに西武に移籍した。

 早大時代に阪神・岡田彰布監督とともに主軸を打った島貫省一(79年のドラフト外入団)も、84年にイースタンの本塁打王に輝いたが、1軍では通算3本塁打にとどまった。

 本工時代に通算61本塁打を記録し、“九州のカブレラ”と呼ばれた山本光将(02年のドラフト5巡目入団)も、1年目にイースタンで6本塁打を記録したが、4年間1軍出場のないまま育成登録となり、08年限りで引退した。(文・久保田龍雄)

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