
■映画という形で監督は存在する
――トリンチェフさんはできあがった作品を初めて見た時、複雑な感情が湧き上がったと言う。
喜びと悲しみの両方が押し寄せてきました。ついに映画ができあがった、映画という形でマンタスが存在しているといううれしい気持ちと同時に、ここに彼はいないのだという気持ち。今このようにお話ししていても、まったく同じ喜びと痛みを感じます。本来ならマンタスがお話ししているべきではないか、そのほうがもっと興味深い話が出るのではないかと思うのですが、私がこうしてお話しすることで、あたかも彼が生き続けているように感じています。
――本作はパリでプレミア上映された。観客の心が動いていることを肌で感じた。
この記録証言をマンタスが届けてくれたことに、観客の皆さんが感謝の気持ちを抱いていると感じました。
ニュースで見るロシアとウクライナの戦争は、あたかも(残酷なシーンが)切り取られたアクション映画やSF映画のようです。みんなが想像できないことだから、そういう絵ばかりが届けられてしまう。でも、この映画はそうではありません。日常に起きていることを見ることができる。戦禍で暮らす人々の感情の動き、どんな状況であっても生き続けている人々の姿。だから見る人々はこの作品にとても親近感を感じます。料理をしたり冗談を言ったり、少しでも日光浴をしようとしたり、そこでたばこを吸ったり。そんなところに皆さんが共感してくださったんだと思います。
――同時に、映画は日常の延長、隣り合わせに戦争があることを実感させる。遠い国のできごとを自分ごとに引き寄せてくれる。
本作のメッセージといえる共感できる部分というのは、本来ならば決して会うことがない接点のなかった人たちを、映画を通して本当に近くに感じるということです。他者を理解する。まさにそれが映画の存在理由ではないかと思うのです。他者の生活をシェアする。シェアはケア。その人を気にすることにつながるのではないでしょうか。

(構成/ライター・坂口さゆり)
※週刊朝日 2023年4月21日号