ロシアがウクライナへ侵攻して1年が過ぎた。いまだ戦争の終わりが見えない中、映画「マリウポリ 7日間の記録」が公開される。撮影半ばで殺害されたマンタス・クヴェダラヴィチウス監督に代わってナディア・トリンチェフ・プロデューサーが映画完成までのいきさつを語った。
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――2022年カンヌ国際映画祭ドキュメンタリー審査員特別賞を受賞した本作だが、実はプロジェクトとして計画的に進められたものではなかった。トリンチェフさんが、クヴェダラヴィチウス監督のウクライナ入国を知ったのは、すでに彼が入国した後だった。
マンタスは15年にマリウポリで(人々の暮らしを追った)「Mariupolis」(日本未公開)というドキュメンタリーを撮りました。そもそもこの作品は、次に私たちプロデューサー陣と一緒に撮る作品の下準備だったんです。ロシアの侵略は以前から続いていましたが、監督は(今回戦争になったことで)15年に一緒に暮らし、撮影した人たちを撮らなければならないと彼らのもとへ、ある意味思いつきで、恋人であり今作の助監督であるハンナ・ビロブロワさんと一緒に向かったんだと思います。プロデューサー陣は監督から何も聞いていませんでした。言ったら反対されるだろうと思ったんだと思います。2人がウクライナに向かったことは、3月18日に写真とともに送られてきたメールで初めて知りました。
――監督らはマリウポリに19日に到着した。15年に撮った劇場は完全に破壊されたと聞いたが、戦闘の激化で確認に行くこともできず、2人はアゾフスタリ製鉄所近くの防空壕(ごう)として使われていた教会に宿泊。避難民が生活していたこともあり、そこで撮影を開始した。監督がカメラを回し、ハンナさんが音声を担当した。だが、監督はそもそもなぜマリウポリを撮影していたのか。トリンチェフさんは彼が「社会人類学の博士だったことが大きいのでは」と話す。