第41回マイルチャンピオンシップが11月17日、京都競馬場で行われた。秋のG1シーズンも深まってきたが、過去の名馬や名シーンを取り上げた記事や競馬の話題をあたらめて振り返る(この記事は2019年1月20日に配信した内容の再掲載です。情報は配信時のままです)。
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約30年続いた平成も今年で最後。その間には多くの名馬が誕生し、ファンによる最強馬談義は絶えることなく続いてきた。そこで、平成時代を追いつつ当時最強とうたわれた名馬たちの思い出を振り返ってみることにしようと思う。今回は牡馬編だ。
平成元年(1989年)の主役となったのは、「平成三強」と呼ばれた3頭の名馬。イナリワン、スーパークリーク、そしてオグリキャップだった。この年は残り2頭が故障で不在だった前半戦にイナリワンが天皇賞(春)と宝塚記念を制覇。秋になると戦列復帰したスーパークリークがオグリキャップ(2着)とイナリワン(6着)を天皇賞(秋)で下し、オグリキャップはマイルチャンピオンシップ勝利からの連闘でジャパンカップをクビ差2着(スーパークリークは4着、イナリワンは11着)。そして最後の有馬記念では復活したイナリワンがハナ差でスーパークリークを退けて勝利をもぎ取った(オグリキャップは5着)。
年度代表馬はG1を3勝したイナリワンが選ばれたが、ジャパンカップで当時のレコード決着(2分22秒2)に食い下がったオグリキャップを最強と呼ぶ声も大きかったことを添えておこう。
続く平成2年も三強の時代が続くかと思われたが、イナリワンは宝塚記念を最後に引退。天皇賞(春)を制したスーパークリークも秋のG1シーズン前に引退を余儀なくされた。それでもオグリキャップは春に安田記念を制すると、秋は精彩を欠いたものの引退レースの有馬記念で劇的な復活勝利。年度代表馬に選出された。
次代の主役となったのは、平成2年の菊花賞を制したメジロマックイーン。平成3年の天皇賞(春)で親子三代の優勝を果たすと、宝塚記念では同馬主のメジロライアンの2着と好走した。ところが天皇賞(秋)では圧勝かと思われたが進路妨害で1着から18着に降着。ジャパンカップも4着に敗れ、有馬記念では伏兵ダイユウサクに足元をすくわれての2着と、最強馬の称号を得るには至らなかった。
なおこの平成3年のクラシックでは皇帝と呼ばれた三冠馬シンボリルドルフの産駒トウカイテイオーが父に続いて皐月賞とダービーを無敗で制覇。しかし故障で菊花賞への出走はかなわず、親子三冠の偉業達成はならなかった。
続く平成4年もミホノブルボンが無敗で春の2冠を制したが、菊花賞では後に天皇賞(春)でメジロマックイーンの三連覇を阻む希代の名ステイヤー、ライスシャワーの2着に敗退。平成4年のクラシック三強の一角で、菊花賞と宝塚記念を勝ったビワハヤヒデも故障で早期引退してしまい、覇権を握るとまではいかなかった。