そして2005年(平成17年)。平成最強馬談義の本命ともいえるディープインパクトがついに登場する。前年12月にデビュー勝ちしていたディープインパクトは、皐月賞でスタート直後につまづいて落馬寸前となりながらも快勝。ダービーも5馬身差で圧勝すると、菊花賞も余裕を持って勝利。シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。
そのディープインパクトは有馬記念で初黒星を喫したが、負かしたハーツクライも只者ではなかった。翌2006年の3月にはドバイシーマクラシックを圧勝して海外G1制覇を達成。英G1のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでも3着と善戦した名馬だった。
4歳となったディープインパクトも天皇賞(春)と宝塚記念を連勝して健在をアピール。秋には日本競馬界の悲願ともいえる凱旋門賞の勝利も期待されたが、レースではレイルリンクの3着で入選。しかも後に薬物検査で禁止薬物が検出され、失格処分が下される苦い結果になってしまった。それでもディープインパクトは帰国後にジャパンカップと有馬記念を連勝。2006年の「ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング」の芝部門で世界1位タイに輝くなど、平成だけでなく日本競馬史上でも最強の呼び声のかかる名馬としてターフを去った。
ディープインパクトの後はウオッカやダイワスカーレットを筆頭とした牝馬が強い時代がしばらく続いたが、そんな中で気を吐いたのは2006年の皐月賞とダービーの二冠を制したメイショウサムソン。三冠馬にこそなれなかったが、2007年には天皇賞の春秋連覇を達成している。
また交流重賞を中心としたダート路線ではディープインパクトと同世代のヴァーミリアンが王者として君臨。2007年のジャパンカップダートなど、GI/JpnIを通算9勝と息の長い活躍を続けていた。さらに2010年に宝塚記念を制したナカヤマフェスタは、同年秋の凱旋門賞で2着。これはエルコンドルパサー以来の好走だった。
海外での好走といえば、ヴィクトワールピサを外すわけにはいかない。2010年(平成22年)の皐月賞を制したヴィクトワールピサは、その秋に日本調教馬の3歳馬として史上初めて凱旋門賞に挑戦。ここは7着に終わったものの、帰国後には有馬記念でブエナビスタにハナ差勝ち。そして翌年3月。ドバイワールドカップに参戦したヴィクトワールピサは共に日本から挑戦したトランセンドを2着に従えて優勝。日本馬初の快挙を成し遂げた。その後はたび重なる故障で海外遠征の断念が続く不運もあったが、まぎれもなく日本史上に残る名馬だった。