矢口太一さん(撮影/朝日新聞出版写真部映像部・和仁貢介)
矢口太一さん(撮影/朝日新聞出版写真部映像部・和仁貢介)
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 両親は高卒。地方公立校から、塾ナシで東大合格も、仕送りはナシ。大学が一括窓口となる奨学金も一時金30万円のみで、全く先が見えない――。

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 今では東大大学院に在籍しながら大手上場企業で業績を上げ、活躍の場を他社にも広げた25歳の矢口太一さんだが、その人生は決して順風満帆ではなかった。

 矢口さんはどうやって東大を卒業したのか? 初の著書『この不平等な世界で、スタートラインに立つために』から、最も苦しかった時期に救ってくれた大人物と、生涯忘れられないお札の重みについてのエピソードを抜粋で公開する。

*  *  *

奨学金がもらえない?

 僕にとっていきなりの試練が降りかかった。

 東京大学では、僕が入学した当時、大学の事務から一括で民間などの奨学金の申請をすることになっていた。そこで両親の収入や家族構成など、いろいろな基準で上から順に奨学金が振り当てられるという仕組みだった。一定の所得水準以下の家庭の学生に給付される国の奨学金は、僕が入学してからしばらく経ってからできたものなので、当時は授業料の減免制度のみだった。

 さすがに、何かの奨学金はもらえるだろう。そう信じていた僕に、事務室から連絡が入る。

「残念ながら、奨学金の枠から漏れました。一括30万円の奨学金◯◯の補欠枠にかかった場合は希望されますか?」

 これを聞いたとき、僕は何のことだかわからなくなった。

 あれ? 東大に行ったら奨学金があるんとちゃうんか…。早くもあてが外れた僕は、寮の部屋の中でただぼーっと壁を見つめて、これからのことを考えていた。

 結果、一括30万円の奨学金をいただくことができ本当に助かったが、4年間の学費と生活費を考えればほとんど状況は変わらない。「首の皮一枚つながっただけの状態」とはまさにこのことだ。

孫正義育英財団の面接

 そんな僕にも一つの希望があった。伊勢にいる頃に応募していた孫正義育英財団の書類審査に通り、面接審査の案内が来たのだ。

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