「生活というものは、夫婦一体の共同作業だが、家庭というものの地盤をかためていくのは、やはり女性なのだ。いずれは子供もでき、妻として、母として、女としてやっていかなくてはならない。その家庭が明るいか暗いかは、その家の主婦にかかっているのではないだろうか」

 当時「自立した女」ともてはやされていながら、仕事をやめて家庭に入る選択をした彼女は「あなたのおかげで、女性の地位は十年前に逆戻りしちゃったのよ」などと非難もされた。が、ひるむことなく「主婦というものほどむずかしい仕事はないかもしれない」として「家庭を守る人間」となることへの誇りをのぞかせていた。息子のために、甘やかさない範囲で手を貸すというのも、家庭を守り、明るくすることにつながると確信しているのだろう。

 彼女を特別にしたのは、なかなか真似のできない芸能界との訣別だった。しかし、本人にとっては普通の幸せを目指した結果にすぎない。今回の本に掲載された近影が、年齢相応にオバサンっぽく見えることに驚いた人もいるようだが、それも彼女の願ったものだったりする。「らしさ」という言葉に魅力を感じていた彼女は、妻らしく母らしく、その年齢にふさわしく「時を経る」ことを望んでいたのだから。

 百恵神話がいかにも男の子を持つ母親らしい「親バカ」で終わるとしたら、それは微笑ましくて素敵なことかもしれない。

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