神戸女学院大学卒業時の武内さん(本人提供)

外資系企業で言われた「衝撃の一言」

 ショックでした。え? 全然知らんけど? 日本人ってそんなことしてたの? 私は今まで何を学んでいたんだろう? 恥ずかしさと悔しさで胸がいっぱいになりました。やばい! とにかく「真実を知らなければ!」。

 そのためにはどうしたらいいか、大学生トーコは必死で考えました。そうして、世界を知るためには世界に開かれた仕事をしていくしかない! という結論に達するのであります。

 ということで、帰国してからの就職活動は「世界に開かれた企業」狙い。時はバブルの尻尾が見え隠れしていた時代でしたが、チョー売り手市場でした。私は何があっても一生働き続けたいと思っていたので、やる気の湯気が体全体から立ち上っていたと思います。

 しかし現実は厳しかった。就職活動を始めてみると、私の想像とは全く違う世界が広がっていて、それはそれは孤独な毎日でした。「信念、岩をも通す!」と心の底から信じ切っていた私の、連戦連敗、暗黒の就職活動の始まりでした。

 まず、そのころの就職は短大を卒業した若い女子のほうが断然有利だったのです。4年制の大学を出た女子は要らない、とまで言われることもありました。1浪2留学で、3年余分に年をとっている私は断然不利なわけです。しかしそれでも諦めるわけにはいきません。リクルート雑誌についている資料請求のはがきを片っ端から送り、面接のアポを取って会いに行く。採用担当の方にはもちろんファーストコンタクトから150%のやる気でぶつかります。しかし受けても受けても不合格。

 でも「就職はご縁です」とリクルート雑誌に書いてあった。

 その言葉を信じ、必死で走りました。日本の企業がダメでも外資系企業ならば性別に関係なく門戸が開かれているのではと期待して面接を受けに行きました。そこで、私は一生忘れることのない面接を経験します。

「君、卒業したらすぐ26歳になるけれど、仕事はどうするの? 結婚や出産はどうするつもり?」とやみくもに聞く採用担当者。試されていると思いました。

「はい! 私は何があっても、仕事は一生続けたいと思っています!」と当然のように答える私。そこで、外資系企業の面接官の男性、なんて言ったと思います?

「いや〜、女の幸せ、そうじゃないと思うよ」

暮らしとモノ班 for promotion
転職、就職活動に欠かせないビジネスバッグ!丈夫でお手ごろ価格なメンズ&レディースのバッグをAmazonランキングでチェック
次のページ
NHKの面接で会った「同期」のアナウンサー