俳句は、祖父が俳人で、高浜虚子の弟子であった。さらに、祖父の子供ら(つまり僕の親世代)もみな俳句をたしなんでいて、孫の誰かにやらせようということになり、僕が半ば強制的に某俳句雑誌への投稿を命じられ、これはいまも続いている。これは趣味ではなく義務であり、やはり修行である。

「俳句はいいんじゃないですか。事件解決したら、そこで一句とか」

 などと編集者が言うので、じゃあ、それでいこうと思い、トライしてみたが、実は、僕は俳句がヘタクソなのである。物語の状況に応じて、それらしきものを発句するなどという技量はまるでなかった。なので、こうなったらオーディオだな、と踏ん切りをつけ、ロック好きのオーディオ愛好家、出世を拒否して有休を取りまくり、ソファに身を埋めてロックを聴いている53歳の真行寺弘道巡査長、というキャラクターを作り上げてしまった。

趣味が高じて生まれた「危険なプロ意識」

 『巡査長 真行寺弘道』をいくつかのオーディオ雑誌の編集部に送ったのはこういう経緯である。取材してくれたのは、音楽の友出版の「月刊 Stereo」で、実は僕はこの雑誌を愛読していた。オーディオという趣味はいくら金を注ぎ込むかが勝負になりがちだが、僕はいかに金をかけずにいい音を出すかで勝負していた。なので、スピーカーは自作である。自作というのは音を出す振動板がついた部品(スピーカーユニット、あるいは単にユニットとも)のみを購入し、ベニヤ板を切って組んだ箱にはめ込んで鳴らすという行為を想像してくれればよい。そして、雑誌「月刊 Stereo」は、この自作派と呼ばれる一派に配慮した紙面作りをしてくれる雑誌だった。だから、取材依頼が舞い込んだとき、僕は大いに喜んだ。

 しばらくして「月刊 Stereo」から、「うちで書いてみませんか」という誘いを受けた。大学のオーディオ研究会が作る自作スピーカーのコンテスト(大学なのに「スピーカー甲子園」と銘打っていたのは変だが)をやるので、それをリポートしてくれないかという依頼だった。快諾したのは言うまでもない。それからというもの、ちょくちょく書かせてもらうようになった。ここで趣味から仕事に1歩踏み出したことになった。と同時に、危険なプロ意識期が芽生えてくるのである。

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趣味は仕事にしないほうがいい?