東京ドームに二度の立ち入り禁止
82歳になったホワイティングさんと、皇居近くにある外国人記者クラブでランチをとった。ホワイティングさんは、日本の記者クラブ制度が様々な事象を当局の筋書きどおり伝えることで、人々はそのゆがんだ像を、真実の姿だと思ってしまう、自分はその解毒剤なのだ、と言った。
だから時々、物議もかもす。読売巨人軍からは、二度東京ドームへの立ち入り禁止の処分をうけたという。
そのひとつは、ホームグラウンド〈東京ドーム〉の、一試合の最大観客動員数を、読売側は5万6000人としていたのを、4万6314人しか入れないことを、週刊朝日に連載していた自分のコラムに書いた件だった(週刊朝日1990年6月1日号)。
この数字は簡単に得られたわけではない。日本野球機構のコミッショナー事務局を訪ね東京ドームの設計図をみせてもらい、その場ですべての座席を数えて確定した。30分ほどかかったが二度検算し、さらに立ち見の観客数を実際に数えてそれを足した。
東京ドームの地下の駐車場から上に登る階段に「収容人数四六、三一四人 東京消防庁」とあるのも発見して二重に事実確認したうえで、観客数が水増しされていることを週刊朝日に書いたのだった。ただ、日本野球機構で設計図を見せてもらったことは、内密にと言われていたので、コラムは、ドームの屋根からしのびこんで、朝までかかって数を数えたというユーモラスな展開になっている。
徹底的な調査は、ホワイティングさんの書くノンフィクションの最大の特徴でもある。日本の戦後混乱期のギャングたちを描いた『東京アンダーワールド』では1990年に調査を始めて、最初に米国で本が出たのは1999年だった。集めた資料はトラック二台分になった。
私はホワイティングさんの著作を読むたびに、ディビッド・ハルバースタムの作品のことを思い出していた。二人のスタイルはよく似ている。
徹底的な調査のうえに、人物のエピソードをふんだんに入れて忖度なく物事の推移を描く。だから面白い。
そして日本の組織メディアにいちばん足りないのがこの点だった。