杉咲花さん主演でドラマ化され、大きな反響を呼んだ『アンメット ―外科医の日記―』。ドラマはフランス・カンヌで開催の世界最大コンテンツ見本市「MIPCOM」で、グランプリに続く「奨励賞」を受賞するという快挙を成し遂げました。元脳外科医であり原作者の子鹿ゆずる氏に、作品誕生のきっかけや、医師を目指す学生に伝えたいことを聞きました。発売中の『医学部に入る2025』(朝日新聞出版)より紹介します。
社会の「無関心」に何かを訴えたかった
そもそも、脳外科医でありながら、なぜマンガの原作者になったのか。きっかけは、青年マンガ誌「モーニング」の新人賞、「〇〇だったけど転職したら夢の印税生活で賞(転生賞)」に応募した作品が、大賞を受賞したことだ。
「募集を知り、ふと挑戦してみようと思ったんです。といっても私は脳外科医だったので、逆にほかの世界のことは書けず、脳外科医が主人公の物語を書きました」
大賞受賞後、漫画化と「モーニング」での連載、さらにはドラマ化と、とんとん拍子に話が進んだ。そうして誕生した『アンメット』の根底には、子鹿さん自身の経験がある。子鹿さんには重度の障害を抱えた兄がいて、重度障害者施設に入所していた。当時の社会ではそれが当然とされていたが、施設に入れざるを得なかったことに、家族としてずっと罪悪感を抱いてきたという。
「同時に、そういう『陰』に置かれた人たちに、『光』のあたる側にいる人たちが無関心でいる社会への憤りみたいなものもあり、『アンメット』という作品を通して、世の中に何かを訴えたいという気持ちもあったと思います。ですから連載の話をいただいた時、主人公の三瓶に障害者の兄がいるという、その設定だけは絶対に変えないでほしいとお願いしました」
偉くなって世の中を変えたい
高校生の時は建築家になりたかったという子鹿さん。写生画を描いたり、プラモデルを作ったりするのが好きだった。地元の進学校に通っていたが、当時、学費免除で入れる医学部ができ始めたこともあり、教師に勧められて目指すことにした。とはいえ、医師になりたい理由があったわけではなかった。
「うちは母子家庭で家計が苦しかったし、兄のこともあったし、自分が偉くなって世の中を変えてやるという思いが強かった。その手段は建築家でも医師でもよくて、ただ世の中を変える力を持ちたいがために、『アンメット』の登場人物である大迫教授みたいな偉い医師を目指していました」
脳外科を選んだのは、兄の病気を治したいとの思いから。研究者になることも考えたが、自分自身の経験から患者や家族に目が向くことが多く、臨床医の道を選んだ。
脳外科医として多くの患者や家族と向き合ってきた経験と、そこで得たさまざまな思いは本作品の登場人物たちの行動やセリフに数多く投影されている。