今日と明日がつながり、初めて患者は救われる
子鹿さんが『アンメット』を通して伝えたかったことは、病気や障害 を持つ人を弱者として「してあげる」「してもらう」と考える福祉 ではなく「共生できる社会」にしたい、そして無関心ではなく自分ごととして考え、参加してほしいということだ。
「作品の中で三瓶の心が救われるシーンがありますが、それはミヤビが何かを『してあげた』からではなく、心に寄り添ったことで、そこに光を灯したから。そういう思いを持つことが本当の共生社会の在り方だろうと考えています」
とくに、医師を目指す学生たちに考えてほしいのが、「患者や家族の思い」と話す。『アンメット』に登場する患者の多くは、手術をして病気が治っても、生き方は障害されたまま。つまり、本当の意味で治ってはいないのだ。
「医師は何をもって治ったというのか。病気が治ったから『はい、さようなら』でいいのか。もちろん病気を治すことは必須であり、医師である限り三瓶のようなスーパードクターを目指したい。でも、治して終わりではなく、三瓶がミヤビに言う『つながりましたね、今日と明日が』というセリフのように、今日と明日、つまり、病気になる前と後の自分とその生活がつながって初めて、患者は救われるのではないかと思うのです」
本当に優しい医師は、メスさばきも美しい
マンガでは、ストーリーの合間にコラムを挿入し、脳外科の専門的な内容をわかりやすく解説。そこには子鹿さんの「病気のことを正しく理解してほしい」という思いが込められている。
子鹿さんが研修医のころ、上司である医師に言われたのが「本当に勉強している人は、高度で難しいことを誰にでもわかる易しい言葉で説明できる」ということ。
「実にその通りで、本当に患者さんのことを思う医師には、『この人にはこういう言葉がいちばん伝わるだろう』ということまで見えているんだと思います。昔、手術は天才的に上手だけど冷酷な医師と、手術はしないけど人間味あふれる医師、どちらが正義か、というドラマがありましたが、僕の経験では手術の腕が良い医師は優しい。自分のことしか見えていない人はメスさばきも荒いし、人に対してもデリカシーがない。本当の意味でのスペシャリストは、自分も周りも冷静に見えていて、人に対してもメスの扱い方も繊細なんです」
ドラマ化にあたり、子鹿さんは制作スタッフや役者と意見交換を重ねた。伝えたのは「患者さんやご家族が見たときにどう感じるかを常に意識してほしい」ということ。自身でドラマを見て、「すごく良くて、思わず泣いてしまった。見ている人をぐいぐい引き込んでいく力がすごくあるな、と思いました」と話す。「原作者が訴えたいことの『軸』が絶対にブレないように」という作り手側の決意が伝わったという。
必死に壁を越えた先に見える景色がある
医学部を目指す学生たちへのエールとして、子鹿さんは「努力すれば必ず壁にぶつかる。でも、それを乗り越えようと努力すれば必ず道が開ける」と話す。ぶつかった壁は、その時の自分の「限界」だ。でも、その限界は努力を重ねるうちに変わっていくという。スポーツ選手でも、全くトレーニングしていない状態での限界と、毎日必死に筋トレを繰り返して鍛えあげた状態での限界は全く違う。勉強も同じだと、自らの経験をふり返る。
「もともとすごく勉強ができるほうではなかった」というが、兄のために偉くなろうと決めてからは、学校から帰宅後、分刻みでスケジュール管理をして毎日8時間以上必死に勉強した。すると、半年経つころからぐんぐん成績が上がっていったのだ。
「『アンメット』に『今はとにかく前だけ見て進め。そうすれば景色が変わってくる』というセリフがあるのですが、まさにその通りで、努力し続けたらいつの間にか見えている景色が変わっていることに気づく瞬間があるはずです。医学部に入ることがゴールではありません。医師になって何をしたいのか、どんな医師になりたいのか。『アンメット』がそれを考えるきっかけの一つになればうれしいです」
文/出村真理子
※AERAムック『医学部に入る2025』より