2009年、農政改革論議を主導する石破農水相(当時)

実質的な「減反」続く

 米不足の一方で、米の作付面積と生産量は年々減り続けている。

 米の生産のピークは1967年の1445万トンだ。政府が農家から買入れる価格(生産者米価)を上げたので生産が増えた一方、需要は減り、膨大な余剰在庫が政府に生じた。政府はその処理に約3兆円を要した(71~83年度)。

 70年、政府は米の過剰生産を抑制するため、米の生産量を調整する「減反」制度を設けた。国が都道府県ごとの生産量を決め、市町村が農家ごとに生産量を割り当てた。減反する農家には面積に応じて補助金が支払われた。

 2018年に国による生産量の配分は廃止された。だが、農家への配分はかたちを変えて残った。「減反政策」は続いている。

 政府は米価の安定を図るため、「需要に応じた生産・販売を推進」(農水省)する。

 減反を始めた当初、そこに「米価の維持」という役割はなかったという。政府が「生産者米価」を決めていたからだ。

「1995年に食糧管理制度が廃止され、2004年に政府買い入れ価格がなくなると、政府は減反政策を高米価維持のために使うようになった。」(山下さん)

 1960年代から70年代にかけて、農業協同組合(JA)に主導された米農家は生産者米価の引き上げを要求して「米価闘争」を繰り広げた。霞が関や永田町はむしろ旗に取り囲まれた。水田は票田でもあった。

「米価闘争は激しかった。農水省や農林族の議員が米価の維持にこだわるのはそのためです」(同)

1968年 米価審議会。会場前に座り込んだ農民団体と警備の警官隊

需要に対して生産量がギリギリ

 国は18年産から「生産数量目標の配分」をやめたが、その代わりに毎年、米の生産量の見通しを定め、都道府県に下ろしている。それをもとに各自治体は作付面積の目安を農家に示す。それに応じて米から転作する農家には補助金が支払われる。

「この『減反』の仕組みによって、今でも国は米の生産量を毎年約10万トンずつ減らしている。需要に対してギリギリの量しか作らせない。少しでも生産が過剰になると米価がガクッと下がるからです」(同)

 昨年の米の生産量は661万トン。それに対して今年6月までの1年間の米の需要量は702万トンだった。

 この状況を抜本的に改善するには、「減反政策をやめること」(同)という。

1977年 米価審議会場前で鈴木善幸農相と農民の青空交渉
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備蓄米制度を見直すべき