女将となり総料理長と喧嘩 若手を育成するきっかけに
「バイク便を頼み『西湖』を積んで御用聞きに行ってもらいました。買ってもらえたら歩合で支払うから彼らもやる気が出ます。そんな仕組みができるにつれ、どんどん売り上げアップ。自分では『室町和久傳』の借金を返したらお嫁に行くつもりだったのに、販路開拓を任されるとおもしろくなりまして。『やったるで』という気分でした(笑)」
東京でやりがいを得て頑張っていた頃に、再び母から呼び戻された。07年、今度はいよいよ「高台寺和久傳」が舞台である。娘が女将になると母は一切店に顔を出さなくなった。しかし存在感は残る。明るく話し上手な綾を贔屓(ひいき)にしていた古い馴染(なじ)みの中には通わなくなった客もいた。初年度の売り上げは前年比70%と大きく落ち込んだ。しかし翌年には130%増を達成。それはなぜか。
綾は苦労して家業を峰山の料理旅館から京都の料亭へと転身させ、グループを大きく育ててきた。そんな母を尊敬し反発もしてきた桑村には、自分なりにやりたいことがあった。その一つが料理人との関係の再構築である。
「学生時代から皿洗いをしながら見ていて、『何か違う』という思いがありました。料理旅館だった頃は『入れ方さん』と呼ばれる料理人のチームで来てもらっていたんです。料理長に何か気に入らないことがあって『料理を作らない』と言われてしまったら大変なので、母は彼らを怒らせてはいけないと人事も原価も言うとおりにしていました。何より怖いのは独立されること。でもある時、私が総料理長と大喧嘩(おおげんか)をしてしまったんです」
それは店舗の料理長人事がきっかけだった。「祐子さんが彼を料理長にするなら僕は総料理長をやめます」と言われた時、桑村は「それなら仕方ないですね」と答えた。総料理長がいなくてもやっていける形にするのが自分の役目だと思ったのだ。そのためには教育が重要になる。
「逆転の発想ですね。独立を恐れるのではなく、独立してもらうための会社にする。いつ独立するか一緒に考えて、場所も探す。料理人には目標ができるし、こちらも新陳代謝ができます」
(文中敬称略)(文・千葉望)
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