「室町和久傳」に少数の客を集め、一つのテーマで研究・会食をする「料理の現場」の打ち合わせ中。料理人の技を身近で見て学べる人気の企画だ。この時のテーマは「酢」。客に喜ばれるよう皆でアイデアを出し合う(撮影/MIKIKO)

「お寺にいれば『はい』『申し訳ありません』『ありがとうございます』の言葉だけで暮らせます。でも後で、この三つを心から言うことは難しいことだと気づきました。和尚様のおそばにいると黙ってしんしんと月の光を浴びるような気持ちになったものです。厳しい方でしたけれど」

 こう言って桑村は少し涙ぐんだ。

 龍光院での生活は2年余りで終わった。京都・室町に店を出さないかという話が持ち込まれた綾に「あんた、どうや?」と言われたのである。

「その時の祐子の返事は『私はそういう商売はせんと言うたやろ!』というもの。私が『そやね、あんたにはできへんしね』と言ったらカチーンと来たらしくて戻ってきました。あとで『計算してたんやろ?』と言われましたけど(笑)」(綾)

 2代目という意識を持たずにやろう。そう思った桑村は銀行との交渉を自ら行い、開業資金も自分名義で借り入れた。その額1億5千万円超。「高台寺和久傳」とは違う良さを出したいと、カウンターを備え、料理長と共に工夫した新しい料理を出す「室町和久傳」が誕生した。借金は当初の予定を2年繰り上げて8年で完済した。

「自分の店では『カニ屋』を払拭(ふっしょく)したかったのです。花山椒(さんしょう)のしゃぶしゃぶや鱧(はも)で包んだ松茸(まつたけ)など、結構新しい名物が生まれました」

 その後、綾は京都駅ビルの伊勢丹内に「京都和久傳」を出店し、立ち上げを桑村が担った。カウンターのあるオープンキッチン型で、価格帯を「高台寺和久傳」の10分の1に抑えながらも質の高い料理ですぐに評判となった。

「『和久傳はいつも新しいことをやってくれる』という評価をいただけるようになりました」(桑村)

「料理が好きだからこの仕事をしているのかも」と言い、自らキッチンに立つ桑村。世界のさまざまな酒の研究にも余念がない。いずれは「こども食堂」を開いて自分の手料理を出したいと考えている(撮影/MIKIKO)

 弁当や菓子など「和久傳」流の「おもたせ」も工夫した。特に人気となったのは蓮根(れんこん)の粉と和三盆を練って作った菓子を笹(ささ)で包んだ「西湖(せいこ)」である。弁当に入れていたものを単独で売り出したところ評判を呼んだ。綾は「おもたせ」を販売する「紫野和久傳」を設立し、東京にも出店を計画する。指令を受けて東京に行ったのが桑村だった。百貨店のほか、丸の内にも店を構えた。名だたる大企業の本社がある丸の内にはギフト需要が豊富にある。どこへ持参しても喜ばれる品として、桑村は「西湖」の売り込みに精を出した。最初は世話になっていた会社の秘書室にアポを取り、親しくなると知り合いの秘書室に繋いでもらった。

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女将となり総料理長と喧嘩 若手を育成するきっかけに