「和久傳ノ森」の桑畑で、フィールドワークに来た学生たちと。食用として実や葉を使うほか、「桑茶」にもなるという。従業員や観光客をはじめさまざまな人々が訪れ、研修や研究の場にもなっている(撮影/MIKIKO)

 京都の料理界からはさんざんな言われようだった。「炉端焼き屋さんですか?」は良い方で「カニ屋」という陰口も聞こえてきた。だが母の綾(83)は「よそから入ってきた人間が京都の真似をするとバカにされる。『田舎もんです』と開き直ったら99%の人は通り過ぎていくけれど、1%の人は注目してくれる」と揺るがなかった。

跡を継ぎたくなくて 龍光院の下働きを願い出る

 桑村は「和久傳」の一人娘である。いずれ跡を継ぐのだろうとまわりは思っていたが、小さな頃から酒を飲んで酔っ払う大人を見ていたのでそれだけは嫌だった。高校を出たら、商売とは関係のない東京の大学へ行きたいと思っていた。

「でも、東京の大学には落ちてしまったので京都の女子大に入りました。母はここ(高台寺和久傳)の一室に寝泊まりしていましたけれど一緒に暮らすのが嫌で、大学にお願いして寮に入ったんです」

 それでも開店したばかりの店を手伝わないわけにはいかない。毎日高台寺に通って10時の門限ギリギリまで洗い物をする。遅れると寮の塀をよじ登って部屋に戻った。だが下働きでもそこは経営者の娘。まわりは何かと気を遣った。

「自分自身の存在が『和久傳』にとってよくないのではないかと思うようになったんです。ここにいたらダメになるし、さりとて継ぎたくもないし。よそに就職したって母に連れ戻されるだろうということもわかっていました」

 大学卒業を控えた桑村は思い切った行動に出る。ある日お遣いに行った京都市北区の大徳寺龍光院(臨済宗)の美しい空気に魅せられ、「ここに置いてください」と直談判したのである。普通なら在家の若い女性が入れるところではない。しかし住職の小堀南嶺(故人)は桑村の必死さに何を思ったのか、下働きとして置いてくれたのである。南嶺は禅の研究で知られる鈴木大拙の弟子。元特攻隊員で、中国残留孤児の支援活動に取り組むなど懐の深い人だった。桑村は龍光院に入るとひたすら畑仕事と掃除、犬の世話などをして過ごした。

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