読者である私たちの中にもある無意識な偏見
辻村:20代で『本日は大安なり』という結婚式場を舞台にした小説を書いたときは、そうはいっても結婚というのは家と家との結びつきで、個人の問題だけにとどめておけなくなるものだと思っていたんですよ。でも時を経て、そうではない、と考えられるようになってきた。あくまで結婚する二人の問題なのだ、と。
でも、個人の問題として貫き通すためにはまず、まわりの声に惑わされず、自分の価値基準で判断できるようにならなくてはいけない。架は真実の行方を追う過程で、真実は置かれている状況のなかで、それぞれ自分の足で立てるようになったからこそ、あのラストにたどりつけたんだなと思います。
鶴谷:その過程で、真実と架だけでなく、読者である私たちの中にもある無意識な偏見のまなざしをあぶりだしていく辻村さんの視点がいじわるだなあって思います(笑)。全編通して、本当にいやな人は一人も出てこないんだけれど、だからこそ、誰もがもつ善良さのなかに潜む傲慢さを見透かされてしまう。この書きぶりは、よほどの覚悟がないとできないだろうなと。
辻村:意図したいじわるもそうでないものもあるんですけど、改めて読み返すと、キャラクターそれぞれに無自覚の上から目線が滲み出ていたりして、自分でもなかなかのことを書いているなと思います(笑)。
(取材・構成/立花もも)