適性は自身が見つける
60年、上皇さまと共に米国を訪問した際、生後7カ月の陛下のために美智子さまが、「デンデン太鼓にしょうの笛」など三つの子守歌をテープに吹き込んだ。側近に残した育児メモ(陛下の名前から後に「ナルちゃん憲法」とされる)と共に、話題になった子守歌のテープだった。が、「もうしない」と潔い。
これはつまり、子どもとの距離感なのではないか。76年、42歳の誕生日を前にした記者会見の言葉から、そう感じた。
〈子供の適性というものは親でもなかなかわからないものです。他人にはわからぬ人格を子は秘めていると思います。子供は私達親だけでなく、他人にも育てられているので、自分の適性は子供自身が見つけていくものではないでしょうか〉
親が子どもをどこかに導くようなことはしない。そう言い換えることもできる言葉だ。だからだろうか、陛下はのびのびと明るい青年になっていった。それがうかがえる美智子さまの言葉がある。
78年、44歳の誕生日を前にした記者会見。その年、陛下が大学生になり、「お妃選び」が話題になり始めていた。「浩宮さまの結婚問題を話し合われたこと」の有無を尋ねられ、美智子さまはこう答えた。
〈まだ、あまり改まってそうしたことを話し合ったことはありません。浩宮に「記者会見でお妃をめぐる質問が出たら、当方、弱冠18歳、学生の身分、と答えてほしい」といわれました(笑い)〉
「同志よ、弱らないで」
陛下のユーモラスな言葉には、会見に臨む母への思いやりも感じられる。陛下の今日性は優しさ由来だろうかと思いながら、美智子さまの言葉をもう少したどってみた。
上皇さまと美智子さまは60~70年代にかけ、地方公務のたびに同世代の男女を集め、積極的に対話をした。72年、夏の定例会見で美智子さまは若い女性たちと話した感想を尋ねられ、こう答えた。
〈いろいろな職業の女性と会いましたが、物事に自分で参加している人が少ない中で、参加していることによって、たえず自分に向き合いながら、一生懸命より良いものを求めていく。(略)参加して、社会への温かさ、愛情を育てているという印象を持ちました〉
働く女性が少ない時代に、美智子さまは「働く」ことと「働く人」と「社会」の関係を語った。美智子さま自身が皇太子妃として働き、社会と関わっていたという事実をしみじみと思う。
最後に紹介するのが、「全国公立小・中学校女性校長会結成50周年記念式典」(00年)での祝辞だ(『皇后陛下お言葉集 あゆみ』から)。わずか80人の会員で51年に始まった会だった。
〈結成当時、会長が会員に贈られた、「同志よ、弱らないで」という励ましの言葉は、そのころの女性校長の困難な立場を如実に語っているようであり、胸をつかれます〉
「同志よ、弱らないで」に、少し泣きそうになった。21世紀直前に美智子さまが寄り添った言葉に励まされた。陛下が陛下になるのも当然、と思う。(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2023年10月30日号