「生物相」に着目、という共通点
悠仁さまも、皇居や御用邸のほかに全国各地をご両親などと訪れ、昆虫採集や高山植物の観察などを続けてきた。また、宮邸の敷地ではコメや野菜づくりもしてきた。
梶田さんが興味深い作品として挙げるのは、当時小学2年生だった悠仁さまが「宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品した「どんぐり探し」という作品だ。
悠仁さまがお住まいの赤坂御用地を歩いて集めたスダジイ、ミズナラ、アベマキといった17種類のドングリ。これを見つけた場所が分かるように、御用地を再現した地図の上に、色分けした粘土のドングリを置いた分布図を作ったのだ。
「こちらのドングリの分布図もそうですし、共同執筆で昨年発表された『赤坂御用地のトンボ相』の学術論文もそうですが、採取した動植物の生態を再現したり、特定のエリアの生物相に着目されたりしている点では、昭和天皇のご研究と通じるものがあるように感じます」
なぜ生物学が「帝王学」なのか
生物学を本格的に研究し始めた皇族は、昭和天皇だったと見られている。
昭和天皇は、歴史に関心を持っていたが、政治的なことに関与するのはよろしくないとして、「最後の元老」と言われた西園寺公望らが「帝王学」の一環として生物学の研究を勧めたとする文献もあるという。