ノンフィクション作家の安田浩一さんのことを意識するようになったのは、編集者をやめてからの話である。『2050年のメディア』が2019年10月に出版されて、ぎりぎりのところまで書いたこともあって、批判もふくめてもみくちゃになっていた時のことだった。
サンデー毎日のパーティーで、声をかけてくれた安田さんは、
「下山さんの『2050年のメディア』はノンフィクションのお手本みたいなものですよね。各章ごとに、証言者と参考にした資料がきちんと記してあって、これならば正当な評価ができます」
と言ってくれたのだった。
そうそう、ノンフィクションは、誰が証言し、どの資料をつかったかが生命線であるが、しかし読みやすくなくてはならない。それで、自分なりに考案した方法だったので、嬉しかった。何よりわかっている人はいるのだ、ということで救われた。
映画『福田村事件』への厳しい視線
今回安田さんの新刊『地震と虐殺 1923-2024』を読んで、本当にフェアな人だという印象がますます強まった。
たとえば、森達也監督の映画『福田村事件』によって脚光をあびた同事件に関する先人たちの仕事に対する評価。
福田村事件は、香川県の被差別部落の行商人たちが、関東大震災の混乱のなかで、朝鮮人と間違えられて千葉県福田村の自警団に虐殺された事件である。
この映画に対して、安田さんは、映画で今も人が暮らす被差別部落の地名がテロップで記されることを記して、そのため新たな差別の被害を地元の人々がうけていることを綴っている。映画に触発されたユーチューバーが集落を訪れ「ディープな場所です」と実況するのだという。
〈繰り返すが、映画によって、悲惨な歴史が伝わるのは悪いことではない。だが、「おびえながら」暮らす人々に、さらなる脅威を与えるような反応を呼び起こしてしまってもよいのか。同じ表現者として、私も揺れる。揺れながら、やはり、差別される側の心情を無視できないのだ〉
耳目を集めた映画に対して厳しい指摘をする一方で、福田村事件を休日を使って地道にしらべてきた若い新聞記者や郷土史家にたいしては、きちんとその仕事をリスペクトし、紹介している。