アメリカの大統領選でトランプが快進撃と聞くと、「アメリカ人は何を考えているんだ?」と思う。何も考えていないのかもしれない。もっとも、日本人だって五十歩百歩。甘利スキャンダルがあっても内閣支持率は落ちないんだから、「なーに考えてんだか」てな気分である。
だが、こんな時代だからこそ『哲学な日々』というタイトルの本が読まれるのだと思う。副題は「考えさせない時代に抗して」。
「抗して」というと、ちょっと勇ましいけど、中身は柔らかで軽やかな哲学者のエッセイ集。新聞で連載した短いコラムのほか、雑誌に寄稿したエッセイや文庫解説などを収めている。著者の野矢茂樹は東京大学の哲学教授。
どれも肩の力を抜いて気楽に読める文章ばかりだ。難解な哲学用語は出てこない。しかし、読んでいくうちに、哲学とはなんなのかがおぼろげに見えてくる。
哲学には他の学問と違うところがある。多くの学問は答えを見つけ出すことを重視するのに対して、哲学は問うことそのものを重視する。結論よりも、そこにいたるプロセスに意味がある。哲学とは考え続けることであり、結論は新たな問いへの中継点だ。
ところどころにハッとするような記述がある。たとえば「考える技術」という文章。よく「論理的に考える」などというが、論理と考えることとは違う。
「考えることは答えに向けて飛躍すること、それに対して、論理は可能なかぎり飛躍をなくそうとすることである」
ウィトゲンシュタインや分析哲学、論理学についての著書もある野矢の言葉だけに重い。
後段では次のように書く。
「考える技術とは、どうやって答えを閃かせるかではなく、いかに問いをうまく立てるかという、問う技術なのである」
考えれば必ず答えが出るとは限らない。人間は自動販売機じゃないんだから。だが、それでも考え続けるのが人間だ。
※週刊朝日 2016年3月25日号