自分の中にある「べき」に気づく
藤野:雑談に来られる方と、いろんな話のやり取りがあるんだと思いますが、「そのままの自分を受け入れられない」「変わりたい」とおっしゃる方って多いんですか?
桜林:そうですね。ただ、何か大きな困難を抱えて「変わりたい」わけじゃないことが多いですね。「なんだかこのままじゃまずそうだし、手を打ちたいんだけれど、もうどこから考えればいいかわからない」とか「今の何が不満なのかわからない」みたいな感じですかね。なので、「自分一人だと、同じところばかりを思考が巡ってしまう」とか「過去の嫌なことばかりを思い出してしまう」から、一緒におしゃべりで手伝ってくださいという方が多くいらっしゃいますね。自分の考えを疑うときに、「本当にそうだっけ?」の疑う部分を私がやる感じです。
藤野:自分の「べき思考」に対して「その『べき』って本当に『そうするべき』だっけ?」と振り返るのを、ついつい忘れて勝手に決めつけてしまうんですよね。さっき担当編集者さんが「お店の前でお店に対して失礼な発言をするパートナーについ怒っちゃう」って言ってたんです。「そんなことを言うべきじゃない」みたいな感じで。僕自身も自分の「べき」思考で、「そんなことしたら失礼じゃん」みたいに怒ってしまったりすることもあるんですね。それって多分育ってきた環境によっても全然違うんですよね。
最近、僕びっくりしたんですけど、よくX(旧Twitter)で「世の中70億人いたら、それはいろんな『べき』があるよ」といった話をするんですけど。実はもう今人口が80億人ぐらいいるらしくて。僕が小中学生くらいのときに習ってきた常識ともう変わってるんですよね。自分たちの教わってきた「常識」とか「べき」って通用しないんです。
桜林:「べき」って自覚してないことも多いですよね。「だって当然でしょ」「みんなそうだよね」とか「ダメに決まってんじゃん」みたいなことってみんなが思っている。でも「べき思考」だとあまり自覚していない。それが自分自身に向くと……まあ、きついですよね。真実みたいになっちゃいますよね。
自分が一番自分に厳しい人がすごく多い
藤野:結局、自分が一番自分に厳しいという人がすごく多くて。ただ、「自分に自分で厳しくしすぎちゃうんです」と言う人って、そうは言いつつも人に厳しい場合もけっこうあるんじゃないかなと思います。やっぱりその「べき」は、人に対しても出てますから。
桜林:出ますね。
藤野:思い込みや思考の固さがある人は、「べき思考」に目を向けるといいと思います。自分が変わらなくても、世の中の見え方が変わることも多いですから。世の中って結局自分のフィルターを通して見てしまっているものです。「あなたには世界がどう見えているか教えてよ」というウェブ連載をされていると思うのですが、その連載タイトルがまさしくそうですよね。
桜林:そうですね。よく「会話はキャッチボール」と言われますが、 私と雑談する時間は「キャッチボールじゃなくていいから、 2人の間のテーブルにどんどん出してくれ」って言っているんです。「私がわかろうとわかるまいといいから、自分の話をどんどん出してくれ」って。そして、それを一緒に眺めて、「これはこういう意味だね」「違うことを言ってるね」とか「この言葉をよく使ってるね」などと一緒に眺めるのです。
だから、「世界はこういうものだ」と思いがちで、「他人は自分を傷つけてくるものだ」なんて言葉をいかにも真実かのように言う人もいますが、「あなたにはそう見えているのは事実だけど、果たして本当にそうだろうか」という話は、その人がテーブルに出してくれて初めて扱えるんですよね。
藤野:世の中に対する見方っていうのは、小さい頃からの経験で固まって、出来上がってきてしまっているものです。それを疑うことは、自分一人だとかなり難しいですよね。僕は「書き出してみてください」とよく言いますけど、本当は自分一人でそれをやるのはけっこう難しい。だから、それを手伝ってくれる人がいるといいんですけどね。皆さんのまわりに「雑談の人」がいるわけではないので。
桜林:増えるといいんですが(笑)。
藤野:世界の見え方と同じように、「しんどい気持ち」も人それぞれの出方があります。しんどいときに、思考が回らなくなって本が読めなくなる人、音に過敏になってしまってつらくなる人など、いろいろです。変わりたいと思って本を買ったけれど、読めないからダメなんじゃないかという人がいます。でも、本は読めなくても、オーディオブックで聞くことならできたりする。いろんな人がいるんです。だから「変わる」といっても人それぞれです。「変わりたい」と思ったとき、自分のよきタイミングで変われればいいということは知っていてほしいなと思ったりしてます。