天皇陛下が追悼式で述べる「おことば」は、平成の天皇の「おことば」をほぼ踏襲している。「国民」という表現が国籍を問わない「人々」という表現に変わったり、やわらかな言葉を用いたりという変化はあるものの、おおむね同じだ。
象徴天皇制を研究する名古屋大の河西秀哉准教授は、「戦争を経験した上皇さまの志を引き継ぐ、というメッセージではないか」とみる。
戦時中、小学生だった上皇さまは終戦の8月15日、父である昭和天皇の玉音放送を疎開先の栃木・日光で聴いた。帰京する列車から、焼け野原になった東京の街を目にしている。
一方、令和の天皇は「水の研究者」というイメージが強いが、実は「深い造詣を持つ歴史家でもある」と河西さんは話す。
陛下は学習院初等科の頃から、東宮御所に専門家を招き、幅広い知識を学んできた。
漢学の権威である宇野哲人・東京大名誉教授に論語を学び、中等科時代には王朝和歌の研究者である橋本不美男・宮内庁図書調査官から徒然草の写本の講義を受けた写真が残っている。中等科時代には、比較文化史研究者の芳賀徹氏や民族学者の大林太良氏、科学史の伊東俊太郎氏、万葉学者である五味智英氏といったそうそうたるメンバーが、芳賀氏いわく、「浩宮さまの臨時家庭教師」の役目を担っていた。
「天皇陛下は、東宮御所で教養とともに歴史への造詣も深め、大学や英国留学時代も中世の交通をテーマに、資料をずいぶん読み込んでいます」(河西さん)
歴史家としての側面があるからこそ、上皇さまの全国戦没者追悼式での「おことば」の重みを理解し、そして遺族らの追悼の辞に真摯に耳を傾けることができるのだろう、と河西さんは見ている。