終戦から79年となった8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都の日本武道館で開かれ、戦没者の遺族や天皇陛下と皇后雅子さま、岸田文雄首相ら約4千人が参列した。参列者の半数近くを戦後生まれが占め、「世代交代」の印象が強まった追悼式。戦争を知らない世代の天皇陛下の「おことば」からは、祈りの「継承」に向けたお気持ちがうかがえた。
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「戦争で父を亡くし、20歳の時には両親のいなかった私には、今日ここにお集まりの遺族の皆さんが母であり、兄弟でした」
自身の父を戦争で亡くした尾辻秀久・参議院議長は追悼の辞で、遺族とともに生きた歳月に思いを馳せた。自分も83歳となり、参議院議長として追悼の辞を述べるのは今年が最後であると続けた後、ひときわ大きな声で最後をこう結んだ。
「絶対に戦争だけはいけない」
「何があっても、皆様のことを忘れることはありません」
天皇陛下と皇后雅子さまは、ときおり目を伏せながら、尾辻氏の言葉に耳を傾けていた。
式典では、衆参両院議長、最高裁判所長官代理、戦没者遺族代表が壇上で追悼の辞を述べていき、天皇陛下は壇上の相手が変わるたびに椅子に座り直し、体を壇上に向けた。雅子さまも会場の遺族らに視線を向け、彼らと思いを共にするかのように目を閉じた。
会場の参列者の一人は、その様子を見つめていた。
「議長らが壇上に上がり、追悼の辞を述べて壇上から下りるまで、陛下はその姿を目に焼きつけようとするかのように、ずっと視線を外さなかった。全身全霊で追悼式に臨んでおられるという気迫を感じました。皇后さまが参列する我々を見て、ときおり目を伏せる様子は、すべての魂に祈りを捧げ続けてくださっているのだと感じました」
「歴史家」である天皇陛下
昭和天皇と香淳皇后を迎えて、政府が主催する全国戦没者追悼式が初めて開かれたのは、戦後7年となる1952年のことだった。そして昭和から平成、令和と式典は続いてきた。
終戦から79年の時間が経ち、戦没者遺族の高齢化が進んでいる。
今回の追悼式に出席した遺族の最高齢は97歳、戦没者の弟で北海道の長屋昭次さんだった。厚生労働省の事前集計では、「戦後生まれ」の参列者について過去最多の47%を占め、令和の天皇陛下と皇后雅子さまも戦争を知らない世代だ。