ピンクのヘルメットでピル解禁を訴えた「中ピ連」代表の榎美沙子をモデルとした小説を発表した桐野夏生さん。いまなぜこのテーマを取り上げたのか聞いた。

【写真】「女の人から、おかしいと声をあげていかなければ、変わらないと思う」と語る桐野さん

桐野夏生さん(72) きりの・なつお/『柔らかな頬』で直木賞、『グロテスク』で泉鏡花文学賞など。2015年、紫綬褒章、21年早稲田大学坪内逍遥大賞、24年日本芸術院賞。近著に『日没』『真珠とダイヤモンド』など(撮影/写真映像部・佐藤創紀)
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 低用量ピル承認から25年となる今年6月、桐野夏生さんはピル解禁と中絶の自由を訴えた榎美沙子さんをモデルとした小説『オパールの炎』(中央公論新社)を刊行した。榎さんが「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)を結成し、過激なパフォーマンスで注目を集めたのは、1970年代。つまり、榎さんのピル解禁運動から遅れること約30年後の1999年にやっと承認されたわけだ。昨年、承認された経口中絶薬に至っては、88年にフランスで承認され、世界65以上の国と地域で使用されているにもかかわらず、35年もかかっている。一方で、バイアグラの日本での承認は申請から半年とスピーディーなことを考えると、ピルや経口中絶薬の承認までの時間の差に驚きを隠せない。

「今回、小説を執筆するにあたって、いろいろと調べましたが、資料がまったくなくて、情報もありませんでした。あれだけ一世を風靡した人の、その後がまったく掴めないのはなぜか。確証はありませんが、榎さんの消え方を考えると、何か榎さんにも大きな力が働いたかもしれないという疑いはありました。榎さんは、ピル解禁の訴えに留まらず、不倫男性の会社まで行って、激しく糾弾するなど派手なパフォーマンスで有名でした。また、政党を作り、本人は出ませんでしたが、党員を参院選に出馬させもしました。結局、選挙には負けて専業主婦になると宣言して、そのまま消息を絶ってしまったのです。そもそも、女性の権利のために活動していた彼女が、専業主婦になると宣言して姿を消すこと自体が不自然です。告発された社員や、その属する企業からの復讐もあると思いますが、もしかすると国家の生殖管理に口を出すな、というような大きな圧力があったとしてもおかしくない気がします」

あの活動は何だったのか

──今回、榎さんをモデルで描かれたのはどのような理由なのでしょうか。

「もともとモデル小説は好まないので、あまり書いてはきませんでした。以前、小池真理子さんとの対談の際に、榎さんの話が出たんです。その対談を読んだ編集者の方から書いてみませんかって誘われて。私も興味がありましたので、彼女がどうなったのか調べて書いてみたい、と思ったのが執筆のきっかけです。当時も榎さんのピル解禁という主張は正しかったと思うし、私たち女性の切実な問題だと思っていました。それなのに、榎さんも、その主張も立ち消えになってしまった。彼女が消えてしまったことで、ピルは女の人の体に危険なんじゃないかというような認識も植えつけられたと思うんです。では、あの活動自体は何だったのか、榎さんとは何者なのか、そして自分が生きてきたこれまでの年月ともあわせて考え直したいという気持ちがありました」

──今回は榎さん(小説の中では塙玲衣子)を知る人たちの証言で話は進んでいきます。

「当人に会えないどころか、生死も分からないような状態でしたから、自分がいくら調べてもなかなか実像が掴めない。だったら、その状況はこのまま生かして、主人公のノンフィクションライターが、いろんな人に会って解明してゆくという過程を書いた方がいいと思いました。なので、自然に生まれた形式です。モデル小説という意味では東電OL殺人事件をモチーフにした『グロテスク』もありますが、あの時は事件が結審していました。冤罪説も出ていたので、いかにフィクションにするかということで神経を使いました。今回は、同じモデル小説といっても闇の中で手探りしているような感じでしたから、それならば、主人公に一緒に手探りで調べさせようと思ったのです」

何も問題解決していない

──主人公のライターが連載している雑誌に読者から手紙がくるシーンが印象的です。

「それは、実際にこの小説の連載をしているときに届いたものです。最後の情報は、約20年前に週刊誌に掲載された『あの人はいま』的な特集だけでした。それも伝聞によるもので、当時も行方は分からなかったようです。つまり、どんなに調べても何も出てこない状態でしたから、読者から頂いた手紙が結節点でした。その方にお目にかかったときに、手帳を見せてくださったんですよね。その手帳に榎さんがご自分で連絡先を書いていて、初めて肉筆を見ました。こんな字を書くんだ、と興奮しましたね。70年代にテレビなどで見てはいましたが、実際に彼女の肉体を感じるものが何もなかったんです。結局、辿りつけたのは、その筆跡だけでした。関係者でお目にかかってお話を伺えたのは、この方と、あとは元ご主人、それと幼馴染みの男性の3人です」

──主人公の年齢を30代後半の女性にした理由は。

「彼女の母親の年代は榎さんを知っていますが、娘の年代は知らない。けれども、母も娘もさほど変わらない世の中を生きていて、何も問題解決してないということを知らしめたかったのです。私の娘が同じ年頃というのもありますが、ちょうど私と娘との距離感、でもまったく変わってない、そういうものも入れたかったのです」

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三島恵美子

三島恵美子

ニュース週刊誌「AERA」編集部で編集や記事執筆、書評欄などを担当。書籍の編集も多数経験。

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