読者の記憶にも強く残った宮崎美子さんの表紙(1980年1月25日号)
読者の記憶にも強く残った宮崎美子さんの表紙(1980年1月25日号)

 惜しくも入選を果たせなかったが本誌休刊について詠んだ人にも話を聞いた。

<美子さんが表紙飾りし週刊誌休刊のニュースにあの頃偲ぶ>と写真家篠山紀信氏が撮影した女優・宮崎美子さん(当時は女子大生)の表紙を歌にしたのは千葉県銚子市の小山年男さん(93)。短歌歴は長く、これまで戦後の生活などを詠んだ歌を投稿し、県版の短歌コーナーには何度も掲載されているという。

「短歌はいい頭の体操。高齢者施設に入居していますので、コロナ感染対策で外出できないんです。なので歌の材料はどうしてもテレビのニュースから選んでしまいます。今回、週刊朝日の休刊を詠んだのも、新聞で知って感じたままを歌にしました」

 小山さんはこの歌を恩返しというが、その理由は、学生時代に朝日新聞の販売店でバイトをしながら大学に通い、卒業後に教師になれたからだ。

「新聞学生だったんです。配達はつらかったこともある。特に雨の日と週刊朝日の発売が重なった時ね。普段の新聞に加えて週刊朝日を定期購読している人の家に配っていた。でもそのおかげで卒業できた。足を向けては寝られないと思うほど感謝していたけど、今回取材を受けて少しだけ錦を飾れた気持ちです」

■進路を決定した週刊朝日の英語

<幼き日「よく知ってるね」と褒められし「週刊朝日」を毎週読みし>と詠んだ千葉県四街道市の久賀田洋子さん(79)は、両親が定期購読していたので小学生時代から週刊朝日を読んでいたという。

「中学生の頃、週刊朝日で覚えた“エポックメイキング”という単語を知ったかぶりで使ったら褒められたんです。それが嬉しくて英語に興味を持って勉強し、大学は英文科に進学して英語の教師になりました。週刊朝日が私の進路を決めたようなものなので、今も読んでいるんですよ」

<内館さん嵐山さん変わらない「週刊朝日」が好きだったのに>と詠んだのは大分県中津市の瀬口美子さん(70)。

「人生の先輩である内館さんと嵐山さんの連載が好きです。お二人ともものの見方が多角的で、勉強になっています。両親が読んでいたので週刊朝日はいつも家にあり、子供の頃からのお付き合いですね。友人が朝日歌壇に投稿しているのを知って、私も挑戦し始めた。今年で歌作り4年目です」

<新聞でわからぬことは「週朝」で親より尚(ひさ)し休刊無念>と詠んだ東京都の松本知子さん(72)は短歌歴7年の朝日歌壇常連投稿者だ。

「大学生だった娘がオープンカレッジをすすめてくれて、『初めての短歌』という講座に通ったのが8年前。講座で作った歌を投稿したのが朝日歌壇初入選。故郷でみかん農家をしている兄を詠んだ歌でした。それ以来、気に入った歌ができるたびに投稿して、これまでに74首掲載していただいているんです。歌で詠んだとおり“週朝”は毎号読んでいてね、私にとっては社会を知る大切な手段だったのに……」

 話を聞かせていただいた皆さんが口をそろえて二つの言葉を口にした。「残念です」と「今までありがとう」だ。こちらこそありがとうございました。(本誌・鈴木裕也)

週刊朝日  2023年4月14日号

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