「今度は大谷(翔平)選手の似顔絵を描いて『似顔絵塾』のコーナーにも応募しようかなと思っている」と言って笑う白井さん。白井さん一家は子供の頃から朝日ファンで、新聞は朝日、週刊朝日と朝日ジャーナルを購読してきたという。学生時代には、成田闘争、日中国交回復、北爆などをテーマにして書いた文章を朝日ジャーナルに投稿し、計4回掲載されている。

「今回投稿した短歌は、岸田政権が軍拡に舵を切り、原発も再稼働の動きがある、そんな時こそリベラルな雑誌の代表格である週刊朝日が活躍すべき時なのに……、という思いを歌にしました。本当に休刊してしまうのが残念です」

 白井さんの短歌歴は約6年。朝日歌壇には何度も投稿しているが、入選は2度目。

「初めて掲載されたのはビギナーズラックだったんでしょうね。初入選首は菅原文太さんが亡くなって、トラック野郎たちがみんな追悼の意を込めてハチマキをして走っていた様子を詠みました。ギリギリ10席目に選ばれて、嬉しかったですね~」

<「新平家」取り合い読みし兄姉逝きて「週刊朝日」休刊となる>と詠んだのは神奈川県藤沢市の藤田勢津子さん(90)。

 歌にある「新平家」とは1950年から57年まで本誌に連載されていた吉川英治の小説「新・平家物語」。連載当時、藤田さんは高校を卒業して専門学校に通っていたという。

「私の記憶では当時は1冊25円くらい(笑)。本家の『平家物語』は知っていたけど、吉川英治版はもっと温かく優しい物語で、とても話題になっていました。学校の帰りに週刊朝日を買って読み、家に持ち帰ると父も姉も読むんです。家族そろっての夕食時には新平家の話題で持ちきりでしたね。そんな具合に家族中で楽しみにしていたから、時には父が買って、姉も買って、私も買って……家に同じ号が3冊あった日もありました」

 藤田さんは今回の歌が初投稿で、しかも「生まれて初めて作った歌です」という。

「父が俳句に命をかけていたような人で、普段から5・7・5のリズムが身についていました。つられて家族も5・7・5のリズムで会話したり(笑)。姉は短歌を作って朝日歌壇に掲載されたこともあったんですよ。たぶん兄も朝日俳壇に載ったことがあるはずです。そんな家庭だった。でも私はセンスがなくて。そんな私の歌が朝日歌壇に選ばれて、喜びを兄や姉に知らせたいのに、もう2人とも亡くなってしまいました」

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ
次のページ