ビジョンに映し出されたのは、目標に設定していた56秒中盤にはほど遠い、57秒79。池江の個人種目のレースが終わりを告げた瞬間だった。

 この日のために、池江は本当に頑張ってきた。2022年は世界水泳選手権ブダペストの代表入りは果たせなかったものの、ワールドユニバーシティゲームズの代表入り(のちに1年の延期が発表)を果たす。なかなか思うようなレース経験を積めないなかでも、着実に歩みを進め、2023年には21年ぶりに日本・福岡で開催された世界水泳選手権の代表入りを果たした。リレー要員ではなく、個人種目の代表としての国際大会出場は、実に2018年以来である。

 結果は、50mバタフライで7位入賞。レース後、涙ながらに池江は「この舞台で泳げたことは自分にとってすごく良かったし、楽しかった」と話したが、この涙は決して欣快の涙ではなく、むしろ遺憾の思いからこみ上げてくる悔し涙であった。

 東京五輪が終わってから、池江は明らかに変わった。勝負と結果に対し、誰よりもこだわるようになっていた。それは五輪という舞台でメダル争いをしたい、という願いのためだ。覚悟を決めたアスリートであれば、何もおかしいことではない。

 しかしながら、白血病から復帰して以来、池江はとても優しい言葉をかけられることが多くなっている。だが、その優しさが池江を苦しめていた一面もあったのではないだろか。

 もちろん、決して厳しい言葉ばかりを投げかけてほしいわけでもないだろうし、そうすべきではない。

 だが、時には優しい言葉というのは、「もうこれ以上頑張らなくても良いんじゃない?」と言われているようにも受け取れてしまう場合もある。

 きっと気持ちに余裕があれば、どんな言葉もその言葉通りに受け取れるし、感謝の気持ちを持てる。

 しかし、思いが強すぎてしまったら、どうだろうか。そして、焦りがあったら。

 どうしても言葉通りに受け入れられず、穿った見方や受け取り方にもなってしまうことだって、あるのではないだろうか。

 だって、もっと速く泳げるはず、もっと頑張れるはず、もっと強くなれるはず、もっともっと頑張りたい、と、池江自身が誰よりも強く願い、心から信じているのだから。

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「4年後、リベンジしに帰ってきます」