2018年、池江は世界の頂点に手が届く位置にいた。だが、予期せぬ病魔が池江を襲い、療養を余儀なくされてしまった。しかし、池江は諦めなかった。ひとつずつ、一歩ずつ、自分ができることを積み重ね続けた結果、プールに復帰して1年で夢の東京五輪の切符を掴んだ。それは間違いなく、努力の賜物であり、それが目標を達成できる唯一の方法であることを池江は体感することができたのだ。

 そうして掴んだ国際大会への切符。「東京五輪では、自分が世界に戻ってきたって周りに思ってもらいたい」と意気込んだが、現実は厳しい。実際に東京五輪に出場して見えたのは、世界との乖離である。今の自分では、到底世界と戦える実力がないことに気づかされた。

 理想と現実の乖離に悩まされることもあったが、それならまた一歩ずつ、世界に近づけば良い。自分にできることをひとつずつ、積み重ねて行けば良い。そうすれば、必ず自分が目指す場所に辿り着けるのだから。それを池江は、東京五輪までの過程を経験したことで、知っているのである。

 池江は今、ロサンゼルス五輪まで見据えた強化を進めている。そう考えれば、あと5年ある。1年1年、着実にステップアップしていけば、また世界の表彰台で池江の笑顔が観られることだろう。

 そのためにも、まずは今年の世界選手権での50mバタフライで結果を残すこと。これが池江にとって最重要課題なのである。それができれば、来年のパリ五輪では100mバタフライで決勝に残ることが目標にできる。次は表彰台、次は頂点へ。そして同時に、自由形強化も進めていけば、バタフライへの相乗効果も期待できるだろう。

 あくまで理想論だが、焦らず、一つずつ階段を上り続けることこそが、池江が世界でもう一度『金メダル争い』をするための道筋なのである。

 福岡で開催される世界選手権まで、あと1カ月強。力を注ぐ50mバタフライで、ひとつ目標を達成したいと池江は話す。

「世界選手権に出場することで本当に大きな一歩を踏み出せたと思うので、ここ数年悔しかった思いを久しぶりの国際大会でぶつけていきたい。今年こそは、ちゃんと『池江璃花子』が世界に戻ってきた、ということを証明できるレースをしたいなと思います」

 覚悟は、決まった。

(文・田坂友暁)

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