子どものような全能感のままキャリアを重ね、他者への協調や共感はほぼゼロ、というよりは共感能力を無駄だと思っている節があり、「民主主義を重んずる」という姿勢は見せるが、高圧的なものいいで相手を黙らせ論破することに悦に入っている男性たちが成功している例が増えているような気がするのは、私だけだろうか。名前をあげると角が立っちゃうけど……増えてますよね。

 今回の都知事選で、30代以下の票を最も集めたのは石丸氏でその8割は男性だったと言われている。「石丸氏はモラハラ上司だ、パワハラ上司だ」という批判も大きくあるが、石丸氏の部下世代の男性が石丸氏に投票しているのだ。それは、石丸氏のパワハラ的な言動の情報がなかったというよりは、その世代の男性にとって「石丸氏っぽい上司」という男性が珍しくなく、それゆえ「成功した男性像」として受け入れやすかったのかもしれない。そしてまた女性にとっても「石丸氏っぽい上司」は珍しくなく、だからこそ忌避したとも言える。

 なにより「石丸氏っぽい上司」は、もっと上の世代の男性管理職からは愛されキャラだったりする。石丸氏も都知事選最後の街宣で「高級フレンチにつれていってくれた三菱UFJ時代の上司に可愛がられた」という話を長々としていた。ハッキリ言って、女には全く響かない話である。それでも石丸氏のこの話は、ある種の男性には受けるのだ。男性同士の絆(ホモソーシャルといいます)でつくられている男性社会では、自分の下の人間をいくら虐めようとも、自分より地位の高い男性に愛されることが出世の通行手形になるからだ。そういう意味で石丸氏に投票した若い男性たちは、「石丸氏っぽい上司」を否定するというより、「石丸氏っぽい上司」に愛されることのほうを選んだのだ。論破される側ではなく、論破する側に行きたい。同僚や市民を愛するのではなく権力者に愛されたい。そういうような心理が石丸氏への投票に繋がったとは言えないだろうか。

  ……というようなことを考えていたところ、評論家の佐高信氏のXが話題になっていた。氏は石丸氏に投票した若者たちへの苛立ちを隠さず、こう投稿した。

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イヤーな感じで一瞬で論破してくれ