「キタ」の街を歩くとよく同僚といった店、行き詰まると先輩に連れていかれた店は、ほぼなくなっている。たまにみつけると、何となくうれしい(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年7月29日号では、前号に引き続きキリンビール・堀口英樹社長が登場し、「源流」である大阪きっての飲食街「キタ」などを訪れた。

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 1985年4月に入社して10年、大阪の営業部門にいた。大阪支店で、清涼飲料の販売促進担当を4年、東大阪支店で、家庭用の「街の酒屋さん」の担当を2年、そして支店が改称した支社で、関西随一の激戦地「キタ」の飲食店へ酒類を卸す業務用酒販店の担当を4年。

 三者三様の苦労はあったが、「営業は人間関係がすべて」という点は、共通していた。

 最後に「キタ」で業務用酒販店を6社、担当したときだ。毎月、「料飲店一斉活動」と呼ぶ仕事があった。所属していた支社の営業第2部のメンバーが2人1組で、「キタ」や心斎橋・道頓堀などの「ミナミ」で他社のビールが入っている店を攻略に回る。営業第2部は、腕利きの営業マンを集めた部署だ。

 この日は酒販店訪問を早めに切り上げ、大阪市の御堂筋沿いにあった支社へ戻る。相棒の名前を告げられ、回る店のリストを渡されると、各組8店へ午後6時から始めた。店へいくと、1人ずつビール1本とつまみ1品を注文し、帰るときに名刺を渡して挨拶する。8店目を出るのは、午後10時ごろになる。

 訪ねた店には、名前を憶えてもらうように、日を置かずに再訪する。でも、全部がうまくいくわけではない。他社との納入比率をひっくり返すのは難しいが、業界で「差し込み」と呼ぶ実績ゼロのところへ入り込むことは、たまにある。それを含めて、年間に部で百数十店は成果があった。

 人間関係が広がるうれしさだけでなく、先輩や同僚とのチームプレーは、普段は個々に動く職だけに別の手応えがある。8店回れば、飲むビールは8本。けっこうしんどいが、終わってみんなで中華料理店に集まり、「ご苦労さん会」をやった。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

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