例えば、毎日お花をあげたりとか、毎日好きなものを用意してあげたりだとか、それは全然できてないんですよ。こういうことを話すと怒られちゃうかもしれないんですけど、毎朝、ろうそくを灯すとか、100%できていない。
ryuchellの好きな飲み物を買ってきて、コップに入れるのは毎日やっています。息子が「ダダにお花買ってあげようよ」と言ってくれたときには、ryuchellの写真のところに飾ります。ピザをデリバリーしたとき、一切れryuchellの写真のところに置いて、息子と一緒に食べることもあります。でも、それは、言い方が悪いですが気が向いたときだけ。
毎日毎日、ryuchellに全力で何かしてあげられていないな、というのはあります。そういう意味で、まだ受け入れられていないのかなと自分で感じています。
形じゃなくなっているryuchellへの対応に、受け入れてない自分を感じるものの、別にこれでいいと思う自分もいる。「実はまだ受け入れられていないのかな?」、でも、「これでいいよな」という繰り返し。
7月12日の一周忌の日は、ちゃんと全力でryuchellの大好きな物を集めて、お花も買って写真のところに飾ります。でも、日常的にもっとやってあげることや本来ならやってあげるべきことをできていない。
泣いたのは1年で5回もない
普段、ひとりでryuchellのことを思い出して悲しくなることって、この1年間で5回もなかった。必死っていうか、「前に進むぞ! 進むぞ!」っていう気持ちで自分を奮い立たせているので(笑)。
元々の性格もクヨクヨしたくないっていうタイプで、自分で自分のお尻をたたくほう。さらに大事な息子がいるので、1年間で5回も泣いてないです。
こういう話をすると「ちゃんと自分の感情を出せているかな?」と心配してくださる方もいるんですが、別に我慢していることもないし、「クヨクヨしていたらいけないんだ! 頑張ろう!」とか、無理にやっているわけではなくて、前を向くことが、先に進む方法だから。それが、私にとって心地いいというか、自分にとってはコレだなと思っているやり方なんです。