――いやいや。このオリコンのデータを見てください。ソロ・デビューした1971年から独立する85年までのシングルの売り上げ累計は1226万枚。演歌もアイドルもバンドも含め、全ジャンルで1位です。

「えー? 1位? いやいや、そんなことないでしょ」

――いやいや、〝記録〟ですから。

「でも、『危険なふたり』のときは『赤い風船』(浅田美代子)、『時の過ぎゆくままに』のときは『シクラメンのかほり』(布施明)、『勝手にしやがれ』のときはピンク・レディーの一連のヒット曲とか、いつも必ず、もっとすごい曲がありましたからねえ」

――でも、あの期間の1位は間違いなく沢田さんですから(笑)。世間が期待する「若くて美しい」という「ジュリー」の虚像を自ら脱いだのは、いつでしたか。

「(1985年に個人事務所の)ココロをつくったころ」

――そんなに前でしたか!?

「そんなに前ですよ。口に出したことはないですけどね。僕は見せかけや体型のことを言われるのが一番嫌なんです。やせてほめられたとしても、全然うれしくない。人間は老い、朽ちていくものですよ」

後期高齢者となった今も

「いつかは年齢的・体力的に限界が来る。今でも腰が痛いし、耳も聞こえにくくなったし。がんばれなくなるのを恐れるからこそ、今がんばる。そりゃ体は重いし、走っている自分が格好いいなんて思わない。でもね、ぶざまでも一生懸命やっている姿というのは、人の心に響く。そうありたいと思っているんです」

 今、私の目の前で歌うジュリーは眼鏡をかけ、白いあごひげをたたえています。61歳のときに「本当は60過ぎたら、バラードだけにしようと思ってたんけどね」と苦笑していたのに、後期高齢者となった今も、『気になるお前』のリズムに合わせ、両手のこぶしを交互に突き上げています。俺もがんばって生きなくちゃ――そう思いました。

 今回の渋谷公演はぜいたくな選曲で、最後まで気が抜けませんでした。「甲辰 静かなる岩」と銘打ったツアーですが、バラードは少なく、元気いっぱいのジュリーを堪能させていただきました。

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