全国ツアー真っ最中の沢田研二さん。【前編】では、「勝手にしやがれ」以降のファンである筆者(56)が「ライヴで聴きたい10曲」という個人的なリクエストを突きつけ、ご本人を困らせてしまった顛末を書きました。【後編】は、名曲をめぐる裏話、ジュリーの音楽的志向を明かしつつ、〝楽屋落ち〟で終わります。
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※【前編】<【祝・沢田研二76歳】「この10曲、コンサートで歌ってほしい」 直訴した記者にジュリーは…>より続く
4月5日の渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)であったジュリーの公演。佐野元春作詞・作曲の「THE VANITY FACTORY」に続き、阿久悠作詞・大野克夫作曲のバラード「ヤマトより愛をこめて」のイントロが静かに響きます。
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ジュリーは、阿久悠さんの〝強い詞〟に困惑し、派手な演出に走らざるをえなかった心情を語りました(前編)。「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」「カサブランカ・ダンディ」など、阿久・大野コンビの作品群がソロ絶頂期を築きました。とはいえ、派手に演じたのは、阿久さんのせいばかりではありません。糸井重里さん作詞、加瀬邦彦さん作曲の「TOKIO」で落下傘を背負ったのは、沢田さんご自身の決断だったはずです(笑)。
「それ、本当にやるの?」
私がインタビューした際、こんな話をしてくれました。
「『TOKIO』はね、いろんな人たちが演奏して去っていった曲なんです。最初は『井上堯之バンド』。井上さん(ギター)が『パラシュートのせいでテレビに映らない。やってられない』って。大野さん(キーボード)も速水清司(ギター)も『嫌だ』って。残ったのは鈴木二朗さん(ドラム)だけ。で、次のバンド『オールウェイズ』に移行しても、みんな『パラシュートは嫌だ』と(笑)。その次の『エキゾティクス』でも、吉田建(ベース)が不満を持つ。さらに次の『CO-CóLO』でも、『背負わないなら一緒にやってもいい』なんて言われました。シングル『女神』(1986年)を出すときに乳房のついた鎧の衣装を用意したら、石間秀機さん(ギター)から飲み屋に呼ばれ、『それ、本当にやるのか』ってしぼられました。『どこが悪いの?』『あれは落下傘と同じだ』って激論になって……」