独立リーグ・大分で現役を引退した内川
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 胸を締めつけられるような光景に、西武ファンで埋まる左翼スタンドが静まり返った。

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 6月11日の広島戦に敗れ、球団史上初の2か月連続8連敗。1979年以来45年ぶりに、借金22にふくらんだ。
 勝利への執念を見せるが、あと一歩届かない。1点差を追いかける9回2死二塁の好機で源田壮亮が一ゴロでヘッドスライディングするも及ばず、試合終了。走者を塁に置いた打席で三度凡退し、敗戦の責任を背負い込んだ源田は、ユニホームを泥だらけにして一塁ベースの先に座り込んだまま動けない。涙をこらえた表情だった。そこに、先発で7回2失点と力投した今井達也が駆け寄る。色々な感情があふれ出たのだろう。三塁ベンチへ下がる際に泣いていた。

「源田と今井は同期入団で仲が良い。投打でチームを支えてきた選手なので何とかしたいという思いが人一倍強いでしょう。もちろん、最下位低迷は彼らの責任ではありません。チームが弱体化する兆候は数年前からありました。その弱点を補えなかったツケがきている。監督を代えることでチームが劇的に変わるとは思いません。スカウト、コーチ陣を含め、選手の発掘、育成から見直す必要があると思います」(埼玉のテレビ関係者)

西武の伝統は「強打」だった

 西武は強打が伝統のチームだった。1980年代後半から90年代前半の黄金時代は石毛宏典、辻発彦、平野謙がチャンスメークし、秋山幸二、清原和博、デストラーデの強力クリーンアップが返す。投手陣も盤石で攻守にスキのないチームだった。
 主力選手の退団が相次いだ90年代後半から2000年代は松井稼頭央、大友進、高木大成を中心にした機動力野球に加え、カブレラ、和田一浩ら強打者たちが打線の核になった。
 伝統的に野手の育成能力に定評があり、その後も中村剛也、栗山巧、中島宏之(現中日)と高卒入団の選手たちが球界を代表する強打者に成長した。

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山賊打線は「史上最強だった」