顔と体のバランスが絶妙
顔と体の大きさのバランスが絶妙で、天性のコメディアンとして生まれてきたと言うしかない。すらっと長い手足を持つ高身長である大谷と同様に、体そのものが1つの才能である。
しかも、キンタロー。は長年ダンスに打ち込んでいて、ダンス講師だった過去があり、動きのキレも尋常ではない。基本的なものまねの技術に加えて、見た目の強さと動きの巧みさがあるのだから非の打ちどころがない。
キンタロー。は、その恵まれたフィジカルの才能を生かして、ものまねの題材となる人物をすべて「キンタロー。色」に染め上げてしまう。
決して似ていないわけではない。見た目も声も口癖も、本人をよく研究しているというのは伝わってくる。ただ、最終的な仕上がりは、すべてキンタロー。そのものになっている。見る人が膝から崩れ落ちるほど笑わずにはいられない彼女のものまねネタの核心はそこにある。
大谷翔平の名言はお笑いにも通ず
ものまねの対象を単にリスペクトしているというのとも違うし、バカにしているというわけでもない。ただ、忠実にまねしながらも、いつの間にかそこにキンタロー。成分がどんどん入り込んでいき、「似ているのに圧倒的に変」という仕上がりになってしまう。
大谷は「憧れるのをやめましょう」という名言を残したが、これはものまねにも当てはまる。ものまね芸人が対象者に憧れすぎていると、本質に迫りきれないスケールが小さいネタになってしまう。
キンタロー。は、ものまねの中に自分自身がはみ出している。そのはみ出ている部分こそが魅力であり、価値である。変わった見た目の人が、変わった動きをして、変わった表情をして、見る人を笑わせる。それはある意味でお笑いの原点のようなものなのかもしれない。
「ものまね芸人界の大谷翔平」ことキンタロー。は、今年はあと何本のホームラン級の傑作ネタをみせてくれるのだろうか。(お笑い評論家・ラリー遠田)