『紫式部』(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-778?locale=ja)
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 父の失職や身内との死別、同僚からのいじめなど、多くの苦難を背負ってきた紫式部。『紫式部集』では、逆境に生きた紫式部が至った最後の境地が詠まれているという。平安文学研究者・山本淳子氏の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。

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紫式部の気づき

 修道女の渡辺和子さんに『置かれた場所で咲きなさい』という名著がある。「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」「咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう」。文中の慈愛に満ちたこの言葉に、私は紫式部に通じるものを感じてならない。渡辺さんは、軍人だった父を二・二六事件の青年将校たちによって目の前で射殺された体験を持つ。紫式部の人生も、悲嘆や逆境の連続だった。だが紫式部も、置かれたその場その場に自分なりの根を降ろしている。『源氏物語』という大輪の花さえも咲かせている。

「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半(よは)の月かな」。紫式部の私家集(しかしゅう)『紫式部集』の冒頭歌だ。小倉百人一首でご存じの方も多いだろう。紫式部自身が記す詞書(ことばがき)によれば、これは幼馴染みに詠んだ和歌だった。長く別れ別れになっていて、年を経てばったり再会。だが彼女は月と競うように家に帰ってしまった。「思いがけない巡り合い。『あなたね?』、そう見分けるだけの暇もなく、あなたは消えてしまったね。それはまるで、雲に隠れる月のように」。楽しい友情の一場面のようだが、そうではない。この友はやがて筑紫(つくし)に下り、その地で死んだ。天空で輝いていた月が突然雲に隠されて姿を消すように、二度と会えない人となったのだ。

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山本淳子

山本淳子

山本淳子(やまもと・じゅんこ) 1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。現在、京都先端科学大学人文学部教授。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。15年、『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)で第3回古代歴史文化賞優秀作品賞受賞。選定委員に「登場人物たちの背景にある社会について、歴史学的にみて的確で、(中略)読者に源氏物語を読みたくなるきっかけを与える」と評された。17年、『枕草子のたくらみ』(朝日選書)を出版。各メディアで平安文学を解説。近著に『道長ものがたり』(朝日選書)など著書多数。

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