『ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』

『枕草子』は随筆だから自身の暮らしを書くことになり、当然そこには恋もある。

「惚れていた藤原実方と思える人物が訪ねてきて戸を叩く場面があるんですが、清少納言は戸を開けないんです。開けられない事情があったか、自分の意思か、朝方までたたく音が聞こえ、やがて消えてしまう。みすみすチャンスを逃してしまいます。おそらく、心は張り裂けそうだったと思います。でも私はこれこそ恋だと思うんです。うまくいかないのが恋で、成就したらもう恋じゃない。まして結婚は日常の生活。私自身、大学生の時に雷に打たれたように恋に落ち、いつでも会いたいのに一緒に暮らすことはしなかった。でもその人だけが人生で唯一の恋人です」

 いつのまにか恋愛論になりドギマギしてしまうが、そういう恋愛観の下重さんの読みで見えてくる恋愛とハッピーエンドとは相容れないもの、もう一つ惹かれるのが晩年の清少納言、その枯淡の境地だ。

「私が最も好きなのは第二百四十二段。『ただ過ぎに過ぐるもの。帆かけたる舟。人の齢。春・夏・秋・冬。』。これです。一切の無駄を省いたこの簡潔さの中に人生への思いがつまっています。彼女は晩年、ライバル視もされた紫式部が栄光の絶頂にあるのと対照的に、夫にも先立たれ、都会を離れて田舎の侘び住まいで、どうやって亡くなったかもよくわからないとされています。でも私はそのひっそりとしたわびしさを美しいと感じます。ここに日本の美学があるなと」

 平安時代に花開き、絢爛豪華なイメージのある女性文学だが、真摯に向き合い、いわば暗さのうつくしさを感じ取った読みが、確かにここにある。

(ライター・北條一浩)

AERA 2024年4月29日-5月6日合併号

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