試合内容で強烈なインパクトを残したレスラーだった。1990年11月14日、アジャ・コングとの金網デスマッチ戦(横浜文化体育館)では金網上からのギロチンドロップを放った。北斗晶との熱戦や神取忍とのチェーンデスマッチも壮絶を極めた。
「プロレスに対する覚悟が伝わってきた。お客さんから『金返せ』と言われたことへの反発心からデスマッチを行ったのも有名。賛否両論あるが、体を大きくするために筋肉増強剤を使用したことも明かしている。レスラーとしての見栄えを常に考えていたプロフェッショナルだった」(在京テレビ局スポーツ担当)
日本人レスラーの過去の殿堂入りはアントニオ猪木、藤波辰爾、獣神サンダー・ライガー、グレート・ムタ(武藤敬司)の4人。日本プロレス界の重鎮たちに、文字通り肩を並べたことになる。
「プロレスをスポーツと考えれば、競技は違えどイチロー(元マリナーズほか)より早く殿堂入りを果たしたことになる。エンタメと考えれば映画のアカデミー賞や音楽のグラミー賞を受賞したのと同等と言える。本当に素晴らしい快挙だ」(米国在住スポーツライター)
2001年には米雑誌『Wrestling Observer Newsletter』選定の殿堂入りは果たしていたが、WWE殿堂は時間を経てようやく実現した形だけにファンや関係者の喜びと安堵は大きい。
プロレス大好き芸人・有田哲平も自身のYouTubeチャンネル『有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】』内で「殿堂入りが遅かった」としみじみと語っていた。
スポーツ界のグローバル化が今よりも進んでいない時代、海外で功績を残したブル中野がWWEの殿堂入りという形で認められたことは、想像以上に凄いこと。“真のメジャーリーガー”ブル中野の快挙達成はもっと讃えられて良いはずだ。