すごすごと私は自分の席に戻り、それでも気になるものだから、シート越しに生脚マッスルを定点観察&眼福している間に、のぞみは京都へ着きました。京都へは「一瞬しか停車しませんよ」とあれほど繰り返し英語アナウンスが流れていたのもなんのその。マッチョ黒人男性2人とその連れの女性2人は、占領していた荷物をゆっくりとシートや網棚から下ろし、中身をチェックしながら、のんびりと下車準備に取り掛かっています。

 しかしながら、新幹線はすでにこの時、京都駅のホームに停止し、ドアも開き、発車ベルも鳴りまくっているのです。

「1分でも1秒でも、この筋肉が拝めるのだったら、いっそのこと降り遅れてしまえばいいのに……。そうしたら新大阪で京都への戻り方を手取り足取り親切に教えてあげられるのに……」と願っていたところ、先ほどの女性車掌が再び凄い形相で走ってきました。ちんたら荷物を何往復もかけて出口まで運ぼうとしている彼らに向かって、結構なキツメのトーンで「OFF!  OFF!」と声に出すだけでなく、「シッ!シッ! あっち行け!」のジェスチャーをしているではないですか。なんて逞しい。そして、彼女の「シッ!シッ!」に急き立てられるように、這々の体でマッチョ欧米人たちは、大量のトランクやリュックと共に、京都駅のホームに無事放出されました。
 

 これもまた、世界における「日本の立場」のひとつなのでしょう。一目欧米人と分かれば、つい拙い英語で親切にしたくなってしまう日本人のやさしさは、裏を返せば日本人の弱さ、卑屈さ、劣等感でしかありません。

 戦争が終わって来年で80年。こと英語に対する日本人のコンプレックスは何も成長していないように感じます。大谷翔平選手がちょっと英語でインタビューに答えただけで「すごい! ペラペラ!」と囃し立てる。この風潮は、日本の英語教育の根底にある「英語=すごい」という刷り込み以外のなにものでもありません。

 他言語の会話力を表す際に、今も「ペラペラ/ベラベラ」といったオノマトペを使い続けているのも日本ならではです。

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