「米国と肩を組んで共に立ち上がった日本」は、決して米国を独りにはしないと約束し、「日本は米国と共にある」と宣言した岸田首相だが、それでもまだ足りないとばかりに、演説の最後に、こんな「誓い」の言葉を述べた。
「日本が米国の最も近い同盟国としての役割をどれほど真剣に受け止めているか。このことを、皆様に知っていただきたい」
「信念というきずなで結ばれ、私は、日本の堅固な同盟と不朽の友好をここに誓います」
「今日、私たち日本は、米国のグローバル・パートナーであり、この先もそうであり続けます」
この前のめりの姿勢には驚くばかりだが、重要なのは、これが岸田氏個人の演説ではなく、日本国民を代表する首相としての宣言であるということだ。
さらに、岸田首相は、記者団に「日米がグローバルなパートナーとして、いかなる未来を次世代に残そうとしているか。メッセージを米国民、世界に向けて伝えることができた」と述べている。
つまり、首相の言葉は、日本国民を代表して米国大統領や連邦議会議員だけでなく、米国民及び世界に対しての誓約となったのだ。
岸田首相の演説は、今後長期間にわたり日本の対米外交政策を縛ることになる。
それがどういうことか、想像してほしい。
世界中のどこかで戦争が起きて、米国大統領から日本の首相に、「米国と共に戦ってほしい」と要請があった時、断ることができるだろうか。
そんなことをしたら、大統領だけでなく、米国議会、さらには米国民から、「裏切り者」とレッテルを貼られ、報復的な仕打ちを受けるリスクがある。米国の要請を断ることは、非常に難しくなったのだ。
安倍晋三政権によって憲法違反だった集団的自衛権が憲法の解釈変更によって合憲とされ、いわゆる「安保法制」によって認められたのが2015年9月。当時は、日本の「存立危機事態」に当たらなければ、発動できないと政府は約束し、米国に言われたら自衛隊がどこにでもでかけて米軍と一緒に他国と戦うというようなことになるはずがないと言われた。
しかし、最近では、台湾有事なら、当然のこととして自衛隊が米軍と共に戦うという前提のシミュレーションが堂々と行われている。いかにして日本が巻き込まれないようにするかという議論はなく、いかに円滑に米軍との共同戦争を実施できるのかという方法論が詳細に議論されている。
在日米軍基地の使用を許すのかという議論もなく、協議を受けて断る権利があることすら忘れられている。米国のCSIS(戦略国際問題研究所)のシミュレーションでは、日本の協力がなければ米軍は中国軍に勝てないが、日本は必ず協力すると書かれていた。
日本の存立危機事態に当たるかどうかによってその結論が変わることなど全く考慮されていない。
さらに、もし日米の信頼関係に深刻な溝が生まれるような事態が起きれば、それこそが存立危機事態であるという議論さえ有力だ。日米安保条約は日本の安全保障の根幹であり、それを支えるのが日米間の信頼関係である。これが崩れれば、日米安保体制の基礎を崩すので、日本の安全保障が揺らぐ。したがって、それは存立危機事態に当たるという理屈だ。
米国の言うことには逆らえないというのと同義である。
岸田首相の今回の演説は、まさにこうした流れを決定づけるものとなった。