最後に、安倍・岸田両氏の白人コンプレックスについて、私が尊敬する論客、小原泰氏の最近の論考(東洋経済オンライン4月16日「先進国が掲げる『法の支配』のダブルスタンダード 西洋基準たる『万国公法』の呪縛から脱する時だ」)を参考にして考えてみたい。

 西洋諸国は、自らを「文明国」、非白人の途上国・地域を「未開国」「野蛮国」などと分類して差別し国際法の適用を制限した。日本が列強と結んだ不平等条約はその典型例である。

 皮肉なことに、日本が「文明国」に格上げされたのは、その文化程度が上がったからではなく、日清・日露戦争に勝利したことによる。西洋諸国の基準では、戦争の強い国が「文明国」だったのだ。

 こうした事実上の「戦争強国=文明国」という本質を見抜いていたのが、西郷隆盛や岡倉天心である。次の言葉を皆さんはどう受け止めるだろうか。

「文明というのは道義、道徳に基づいて事が広く行われることを称える言葉である。(中略)もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、いつくしみ愛する心を基として、よくよく説明説得して、文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、開発途上の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮である」(西郷隆盛『南洲翁遺訓』1890)

「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮(さつりく)を行ない始めてから文明国と呼んでいる。(中略)もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」(岡倉天心『茶の本』1906)

「戦争強国=文明国」だとすれば、日本のように憲法で戦争を否定し平和主義を掲げる国は、文明国にはなれない。

 どうしても西洋基準の文明国の仲間入りをしたい安倍氏や岸田氏は、戦争強国を目指した。岸田氏が、平和憲法に立脚した日本を「控え目な同盟国」と称したのは、まだ日本は「未開国」だったと認めたからだ。そして、「自信を深めて」今の日本は米国と共に戦える「文明国」になったと胸を張った。

 その根底には、ぬぐいようのない白人コンプレックスがある。

 世界では、米国を中心とする西側「民主主義」諸国と中国などの「権威主義」の国が覇権を争っているというのが、日米欧の主張だ。もちろん、自分たちが正義で、中国などが悪の枢軸だという。しかし、中東では、アメリカこそが悪であり、アフリカ諸国では欧州諸国こそ暴力で略奪を行った帝国主義者である。そして今やアジアでも、米国の価値観外交に与する国は日韓だけだ。米国離れの傾向は日に日に強まっている。世界の流れは変わったのだ。

 それにもかかわらず、アジアで唯一、米国一辺倒の立場をとり、しかも、その立場を強めていく日本。

 日本の平和憲法は今でもアジア・中東などで高く評価されている。これをかなぐり捨てて、米国と一体化した戦争強国の道を歩むのは、明らかに世界の流れに逆行している。

 西郷のように西洋諸国を「野蛮」と喝破し、岡倉のように、戦争によって文明国と呼ばれるよりも、野蛮国のままでいることに甘んじ、「理想(今日に当てはめれば『日本国憲法の平和主義という理想』)に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」という立場をとることこそが、大きな歴史の流れに沿った王道である。

 自民党の指導者たちのナルシズムと白人コンプレックスによって日本国民が犠牲になることだけは避けなければならない。

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