「日本一の進学校」が代名詞だった、東京都立日比谷高等学校。だが、1967年の学校群制度の導入後、200人近かった東京大への合格者数は、80年代から90年代にかけて、一桁に。「日比谷の凋落」というフレーズさえ飛び交った。栄光と挫折を味わった公立校から、今年東大に52人が合格した。卒業生が317人だから、実に16%が東大に受かったことになる。名門「復活」の背景にあるのは、敏腕校長と三大行事のサイクルだった。AERA 2024年3月18日号から。
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政治の中枢、東京・永田町にある都立日比谷高校。校舎の近くには、寝坊した生徒や国会に遅れそうな議員が駆け上がる「遅刻坂」と呼ばれる坂があり、日比谷生の通学路になっている。
2月下旬に日比谷を訪れると、「東大どう?」「たぶんいけたと思う」という生徒たちのはずんだ声が聞こえてきた。
かつては東京大に200人近い生徒が合格する「日本一の進学校」だったが、1967年の学校群制度の導入後、その数は1桁台に。だが、2016年に53人の生徒が東大に合格し、44年ぶりに50人の大台を突破。その後も多くの生徒を東大や難関大に送り出し、23年の東大現役進学率は約10%と、高い合格実績を維持した。
“復活”の背景には、「生徒の夢を実現させる」と意気込んだ武内彰前校長の存在があったという。進路指導部主任の滝澤美恵さんは当時をこう振り返る。
「まずは教員全体が生徒と一丸になって、志望校を諦めずに挑戦できるよう校長主導で働きかけました。試験問題も教科担当ごとに違っていたものを共通にしたりと、少しずつ改革していったんです」
2度の「失敗」で急成長
進度がそろうことで、他のクラスの動きに焦ることなく目の前の勉強に集中できるようになった。さらに、年4回発行する「進路通信」で学習が遅れやすい科目の教材活用法などを細かく紹介し、生徒に発破をかけた。
呼びかけが実ったのか、この春卒業の高3生から大学入学共通テストで理科や社会の対策が間に合わないという声は上がらなかったという。
「国公立2次試験を終えた生徒からは、『やりきりました』という声が本当に多かった。東大では例年『この科目が難しかった』と漏らす生徒が多いのですが、今年はそういう声を聞きませんでした」