個から発する怒りをなだめる声は、あまりに大きい。それが女の声ならばなおのこと。でも、怯むことないのだ。自分の立場で、自分の声で、自分の言葉で、私たちは発していくしかない。右とか左とか、政治信条関係ない。「歩いている犬猫にもアイサツして歩け!」な、そんなシンプルさでの自分の怒りを守るべきなのだと思う。
先日、二階俊博さんが「ばかやろう」と記者会見で呟いた。85歳という年齢のことを言われ「お前もいつか年を取る」と切れた。年齢のことは、よほど悔しかったのだろう。それでも高齢者に敬意を払えないような社会を、あなたたちがつくってきたのだと思う。政治に怒る人々の声を無視し続け、政治を諦めさせる空気を生み、権力にあぐらをかき続け、庶民には到底手の届かないレベルの額の金を「国のため」ではなく「自民党のため」に使い続けた。「ばかやろう」はどちらなのだろう。5年で50億円どう使ったんだよ、おかしいだろう? そんな怒りを、私たちは諦めてはいけない。
今年は「俺ら東京さ行ぐだ」の発売からちょうど40年になる。もはや東京は憧れの街ではなくなり、日本は1980年代のようには明るくはない。それでも、私たちが明るく前向きに怒る自由を自ら失ってはいけないのだ。思わぬ変化球で世間を賑わした吉幾三さんに、なんだか、心からありがとう、です。